平田豊さんのこと |
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清水茂徳
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平田さんと出会えて本当に良かったと感じています
性的接触によるエイズ患者であると日本で初めて公表した平田豊さんが94年5月29日に千葉の病院で亡くなりました。39歳でした。
平田さんとはLAP発足当時からお会いする機会があり、事あるごとにいろいろなアドバイスをいただいてきました。平田さんの存在は僕自身やLAPの活動の原動力にもなっていました。僕たちが平田さんから励まされることも多く、また機会を見つけてはカラオケが大好きでした平田さんが歌う天城越えを僕はいまでも忘れることができません。「カラオケはもっと成りきらなきゃだめなのよ。」と、いつも率先して歌っていました。カラオケは自己受容による自己表現の手段で、ストレス発散になり、腹式呼吸で体にもいい、と僕らがカラオケの効能を考え出したのもその頃でした。「これじゃカラオケ・ボランティアだね。」と僕たちは笑いながら歌っていました。
僕は5月27日に病院で平田さんに付き添い、夜を明かしました。夜中までいろいろな人がお見舞いに訪れていて、平田さんの人間関係の広さを感じました。28日の朝方、平田さんは発作を起こしました。「寒い寒い!」と体を震わせ、「先生、先生!」と叫んでいました。「大丈夫だよ。」「すぐ先生は来るからね。」と言う僕たちい、平田さんはボソッと「病人にはもっと明るく話しかけるもんだよ。」と呟きました。僕たちは「言われてみれば確かにその通りだ。」と笑い合いました。平田さんは初めて会ったときからずっと、エンターティナーとして僕たちを楽しませ続けてくれました。
僕たちが平田さんにできたことはわずかなものだったけれど、平田さんと出会えて本当に良かったと感じています。