HIV感染症への医療費補助を考える |
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草田央
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平均医療費
今年3月10日付『時事通信ニュース速報』によると、「エイズ患者が医療費開始から死亡までにかかる医療費は、血友病患者の場合約1750万円、非血友病患者は屋久10万円」といった調査報告が発表された(厚生省HIV疫学研究班理論疫学・予測部会)。この調査結果は「調査対象の病院を訪れる前に治療を受けた別の病院の医療費は含まれていないため、実際の額はこれを上回って」いる可能性を指摘しているが、調査対象となった血友病患者13人の死亡時点までの平均治療期間は14.8カ月であったそうだから、ひと月、54万円の医療費という計算となろう。また、総額5000万円を越えたケースが2人あることも記載されている。
有効に機能していない保険制度
私の存じ上げていた血友病患者のケースでも、健康保険外の薬を投与したため、月に約80万円の自己負担を強いられたという話がある。医療機関が積極的な治療を行えば延命が可能になってきただけに、医療費の自己負担の問題は大きくなってきている。しかも、HIV感染症の治療方法は、まだまだ未確定ものが多く、それゆえ健康保険外敵用ととなってしまう治療も多い。プライバシー漏洩を心配して健康保険を忌避する方も多い。入院すれば差額ベッドの問題があり、HIV感染症の在宅療法が可能だとしても現状では自費とならざるを得ないと思われる。HIV感染症に関しては、日本の健康保険制度が有効に機能していないと言えよう。
厚生省は末期ガンなどと同様に緩和ケア(ホスピス構想)を推進していく構えだが、エイズは末期ガンと異なり、積極的な治療が成功すれば元気に退院することも可能なのである。そういうこともあってか、欧米では尊厳死(Living Will)に署名するエイズ患者は非常に少ないのだそうだ。ホスピスも積極的な治療をおこなった上で、住む場所のない患者の宿泊場所もしくは本当に末期患者の死に場所として位置づけられている。積極的な治療体制のない中での「緩和ケア」は、患者を見殺しにし「感染者の死に場所を与える」意味以外に何があるのだろうか?そして積極的な治療をする以上、医療費の問題は重くのしかかる。血友病患者の感染者への特別手当・健康管理手当
現在、HIV感染者は医療費補助もなければ工費負担がなされ、それにはHIV感染症も含まれている。しかし、医療費補助は、保険診療の自己負担分に限られ、健康保険外診療は自費扱いである。健康保険を利用しないケースが多いのは、血友病患者の感染者も同様である。発症者には(これもエイズ予防法の<見返り>だが)特別手当てが支給されるが、それは医療費の支払いには足らないものであり、申請することも患者もしくは医師に忌避されていることが多い。認定基準も厳しく、申請されても却下されることがある。そして、被告・製薬企業の支出により支給されている特別手当ての額は、裁判所によって賠償金から減額される可能性もある。
昨年4月から、CD4が500以下の未発症薬害エイズ被害者には月額約3万円の<健康管理手当>が支給できることになっている。正式には「エイズ発症予防に資するための血液製剤によるHIV感染者の調査研究事業」であり「日常生活の中での発症予防のため、健康管理費用を支給し、健康状態を報告していただき、HIV感染者の発症予防に役立てていこうとする」調査研究事業となっている。薬害の責任を認めない中で<調査>名目の手当ての支給であると言えよう。発症予防の重要性は、血液製剤以外の感染経路の感染者にとっても何ら変わるところではない。にもかかわらず、薬害の責任を回避したまま感染者を感染経路によって差別し、国庫から特定の感染者に手当を支給するといった矛盾の多いものである。一部の血友病患者団体は強く反発し、すべての感染者に支給すべきであると要求している(ex.昨年末の社会党ヒヤリングにおける東京ヘモフィリア友の会)。
また、特別手当と同様、申請することも患者もしくは医師に忌避されているケースがある。患者側は、プライバシー保護に関して行政機関等に対する信頼を失っており、またプライバシーが漏洩した場合に被る社会的不利益が大きいことがネックになっている。また、患者に告知が行われていなかったり、社会的治療がなされていない<加害者>側の医師の存在も、申請されない理由の一つとなっているだろう。いずれも解決済みとする厚生省に反して、薬害エイズがいまだ未解決であることを示している。
血友病患者団体は、健康管理手当の問題にしても、さまざまな要求の声をあげてきている。しかし、その大きな問題の一つは、その要求が実現いずれ賠償的意味合いを持ってしまうことである。健康管理手当をすべての感染経路の人たちに・・・と要求しても、それが実現される可能性は皆無に近い。健康管理手当は特別手当と同様、友愛福祉財団から医薬品副作用被害者救済・研究振興機構に委託されて実現されている。裁判所によって賠償金から減額される可能性もある。これでは、いくら国が支出しているとはいえ、製薬企業支出の特別手当と同様に、他の感染経路の人たちに支給される見通しは少ない。難病指定
HIV感染症の医療費補助の方針として考えられるのは、まず難病(特定疾患)に認定してもらうことであろう。先ごろ<先天的>免疫不全症候群は難病認定されるに至っている。しかし厚生省指定の難病は、その条件として「原因不明」であることが入っているのである。厚生省は、エイズの原因はHIVと特定されているとして、難病指定を拒否している。HIVと人権・情報センターの故・広瀬氏に生前うかがったところによると、「指定は難しいだろうが、発症のメカニズムは不明なのだから、諦める必要はない」とおっしゃっていたものである。
各地方自治体でも独自に難病指定を行っている。例えば東京都など、原因が判明しているC型肝炎を難病指定にし、医療費助成を行っているのである。国の難病指定もそうだが、難病指定は極めて政策的に行われているのが実情であろう。
これも広瀬氏のアドバイスだが、研究費名目で医療費を補助してもらう方法も考えられる。一時期、厚生省の「HIV感染者発症予防・治療に関する研究班」が研究費によって、健康保険の使えない患者に対しAZTを支給していたことがある。可能性としてはあるだろうが、患者からの要求としては正当性に欠けるところだ。その実現が難しいことは、発症予防研究班の研究費による薬の供給がカットされたことからも伺える。心身障害の定義拡大
今年4月16日に行われたAIDS&Society研究会議フォーラムで、都立駒込病院のソーシャルワーカーである磐井静江さんは個人的見解として、HIV感染者を障害者の枠に含める提案をなさっていた。日本の福祉の対象は4つに分類される。[1]心身障害者 [2]児童 [3]母子 [4]老人である。HIV感染を含め、難病等の疾病は該当しないケースがほとんどだ。医療費の公費負担が実現できた難病も、福祉の対象に含まれることはない。HIV感染症も在宅ケア等を念頭にした慢性疾患であるとするならば、単に医療費の公費負担にとどまるのではなく、福祉の対象として様々なサービスの恩恵を受け、福祉の枠内での医療費助成を実現すべきであるとの意見であろう。
特定の疾病を政策的に指定していく難病指定による医療費助成は、もはや構造的に破綻している。難病と言える病気は400種以上、患者は250万〜600万人と推定されている。しかし、このうち厚生省に指定されている難病は35疾患の留まり、約20万人がその恩恵に欲しているに過ぎない。一方、心身障害者福祉にしても、その対象基準は先進諸国の中で最も狭いものとなっている。エイズに限らず、障害者の定義を広く拡大していくことは、日本の社会にとって必要であると私も考える。
いずれにしても、いま薬害エイズ以外の感染被害者が、憲法の定めるところの「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を主張することが急務である。今までのエイズ対策は、すべて非感染者のための対策であった。それが社会的差別を助長し、医療体制の全く整わない現状を作り出してきたと言っても過言ではないだろう。行政が、感染者の声に耳を傾け、拠点病院構想などといったポーズではなく、少しでも実行性のある<感染者のための>対策を取ったならば、それだけでも社会の状況は好転するだろう。
薬害エイズ以外の感染被害者が少なく、組織化されていないことも事実である。常々、HIVと人権・情報センターなどは医療の無料化を要望してきているが、感染者が前面に出てきていないせいか実現には至っていない。一人でも声をあげるものがいれば、例えば東京ヘモフィリア友の会なども全面的に協力をすることを表明している。それにはカミングアウトは必要ない。プライバシーを守りつつ、行政に対して権利の主張をすすめることは十分可能である。公的機関の「信頼回復」
それで公的助成がたとえ実現しても、問題はまだ残る。公的助成は公的機関が本人を特定する必要があるからだ。また、助成は保健診療に限定されるだろうから、保険外診療の自己負担が残ってしまう。
公的機関が、プライバシー漏洩によるエイズパニックを真摯に反省し、感染者の立場に立った施策を行っていくことが信頼回復の道であろう。また、プライバシーが漏洩しても、感染者ができるだけ社会的不利益を被らない社会的基盤作りも必要である。国によっては検査ばかりでなく治療も匿名で受けられ、医療費の補助が受けられるところもある。こういった抜本的対策も考慮の必要があるだろう。
管理ではなく、感染者の医療や生活を保障する対策がなければ、予防もまた成り立たない。いくら「早期発見すれば・・・」と叫んでみたところで、陽性であると判明したとしても、まともな医療もうけられず社会的に抹殺される日本の現状で、いったい誰が検査を受けるであろうか?それは本人の自由意志によらない<強制検査>を受けさせられた人たちであり、「私が感染しているわけがない」と自信にあふれた人たちであり、もしくは身体の具合が悪く検査を受けざるを得ない人たちでしかない。
予防は、医療や福祉が存在して初めて成り立つことを知らなければならない。