特効薬願望を捨てよ |
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草田央
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熊本大学とミドリ十字社の共同実験である、エイズの遺伝子治療に関する申請が昨年暮に出された。
この遺伝子治療の人体実験は(おおざっぱに言うと)「偽HIV」を体内に注入し免疫機能を刺激し、刺激された免疫機能に「本当のHIV」をやっつけさせ、あわよくば発症予防につなげよう! といったものだ。
すでにアメリカで二百人以上の実験が二年以上行なわれており、まだ結論は出ていないものの、「どうやら大した効果をあげていないらしい」との噂である。今のところ心配された副作用もあまり報告されてきていないが、ベクターと呼ばれる運び屋ウイルスが悪さをしないか? 免疫を刺激することがHIV感染症にとってマイナスではないのか? 等々、将来にわたる危険性は、まだまだ考えられる。それほど、効果も危険性も「何もわからない」という実験なのだ。
日本では、まず三人の感染者に実験を施すという。これは発症予防効果を目指した実験だから、たった三人では、効果について科学的評価をくだすことは不可能と思われる。ある程度評価ができるのは、この実験の短期的危険性ぐらいだろう。
どのような臨床計画なのか聞こえてこない点が多いが、約2年間の実験が終わった後、一体いつまで「効果の判定できない」この観察を続けるのか? 実験観察中は、もっと確実な他の発症予防治療が受けられないのではないか? 発症してしまった場合、治療してくれるのか? なんて心配を考えると、被験者のメリットはなくデメリットばかりとしか思えないところだ。
しかし、感染者からの問い合わせは殺到し、“選ばれた”三人は実験を快諾しているという。バカじゃないの!?
今回の被験者は血友病患者に限られている。血友病患者なら生まれたときからの詳細なデータが揃っていて、なおかつ実験の途中で逃げられる心配がないからだという噂も聞こえてくる。学会では公然と「血友病患者には何をやってもかまわない」との声も聞かれるという。被験者の血友病患者の皆様には、自分たちをHIVに感染させた者たちのために、再び我が身を実験に供しようというお気持ちのようだ。お釈迦様もキリスト様もビックリである。
熊本大学では、この患者のメリットになるとは思われない実験を「少しでも患者の利益になることであれば、やってみる価値はある」と評価しているという。そして「時間が長引くほど、患者の免疫力が低下し、治療の有益性も減っていく」として早期認可を求めている。有益性が不明な実験なのに、有益性を根拠に早期認可を求めるとは!? これじゃ、まともなインフォームド・コンセントが行なわれているとは到底思えないところだ。
それに、まず健常者を対象にした第一層臨床試験から始めるのが筋ではないのか!? 血液製剤みたいに「健康な人がエイズになったら困るでしょ!?」(厚生官僚談)という理由で第一層臨床試験を省いて、本当にエイズになってしまったような事態の二の舞ではないのか!?
ぜひミドリ十字の社長や熊本大学の医学者には、医学の進歩のために自ら遺伝子治療の被験者になってもらいたいものだ。遺伝子治療は、新しい産業になり得るとして注目を浴びている分野だ。「第二の通産省」として国際的に三流の製薬企業育成に躍起となっている厚生省にとっても、是が非でも他の諸国に負けずに勝ち取らなければならない分野だろう。さっそく、来年度から遺伝子研究に毎年十億円ずつ資金援助していくことが決定した。
「厚生省薬務局分室」とあだ名されるミドリ十字社も、親方日の丸体質のためか近年は新薬が開発できずに青息吐息。ここは(たとえ失敗しようが)遺伝子治療に先鞭をつけ、知名度アップや既得権獲得で将来につなげたいところなのだろう。
そして、実験を行う熊本大学も、我が国二例目の遺伝子治療、しかも我が国初のエイズの遺伝子治療となれば、高月教授の定年退官にも花を添えられて、名声もあがるというものだ。
早くも高月教授は、文化功労者顕賞を受賞した。「近いうちにエイズの特効薬ができる」という声が感染者・非感染者を問わず聞こえてくる。時代錯誤もはなはだしい!
人類は未だ、いったん体内に入ったウイルスを体外に出すことに成功していない。インフルエンザウイルス一つをとっても、生まれてからこのかた罹ったインフルエンザウイルスを我々は全て持ち続けているのである。ただ、免疫機構によってウイルスが抑圧されているだけだ。エイズの免疫不全では、新たな感染症にかかりやすくなるというよりも、今まで持っていたウイルスが暴れ出すというのが、正しいところのようだ。
特効薬なんていうものは、結核に対するペニシリン登場までの時代の話だ。簡単な病気は大方研究し尽くされ、残ったのは難解で複雑な病気ばかりだ。だから現代の病は慢性疾患なのであり、病気をコントロールしながら一生付き合っていくものなのだ。
エイズについても、それは当てはまる。日和見感染症の治療法はある。抗HIV剤も、決定打はないにしろ幾つも揃ってきた。特効薬はなくとも、そうやってHIV感染症をコントロールし感染者の寿命を全うさせることは不可能ではなくなりつつある。HIV感染症の治療で重要なのは、そういった着実な治療なのだ。
ところがどうだろう。我が国では既存の治療法すら満足になされていない。アメリカでは、かなり効果をあげてきた発症予防治療法が、日本では一例も行なわれていないことに驚く人もいる。
その一方で、お金が注ぎ込まれるのは、“夢”でしかない特効薬の研究開発だ。本当の末期患者が「特効薬」への期待を口に出す気持ちはわからないでもない。が、たとえ特効薬ができるとしても、「本当の末期」である以上、間に合うはずもない。そして、感染者が「特効薬」と口にするとしたら、それはエイズに対する無知と、自暴自棄を表明しているようでならないのだ。「いつか特効薬ができるだろう」という思考停止は、真剣にエイズと向き合い、コントロールしていこうという姿勢には思えない。残念ながらそういう人は、期待し続けた特効薬もできずに、死んでいく道が残っているだけではないのか。
研究者でもない、一般の非感染者が「特効薬」と口にするのは、一つは同情から発する感染者への気安めの言葉としてだ。感染者への無礼な言葉の一つと指摘しておきたい。そして、もう一つは「いつか特効薬ができるだろう」という思考停止により、エイズが提示した様々な問題から目を逸らし、自分は何もしないという態度の表明でもあるのだ。たとえ特効薬ができたとしても、深く根差した問題のほとんどは何も解決しないということがわかっていないのだ。こういった人たちの存在が問題解決への大きな障壁となっている事は間違いない。
もう「特効薬ができる、特効薬ができる」などいうマントラを唱えるのは止めにしよう。現実を直視し、着実に一歩一歩進んでいこうではないか。そして目の前の一歩のための努力を皆でやっていこうではないか。[草田央]