人はどうやって医者になるのか[1] |
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6年目の医学生 くまのプーさん
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あなたは自分の主治医とどんな付き合い方をしているでしょうか。治療方針は先生に全ておまかせ? 専門家である先生に間違いはない? もう先生におすがりするしかない?
でもちょっと待って。「先生」「お医者様」「専門家」といくら呼んでも、医師はあなたと同じ一人の人間。あなたと同じように学んだり、遊んだり、悩んだりしているのです。ただ、その素顔がなかなか見えにくいだけ。
そこで今回取り上げるテーマは「医者」。医学部では何を勉強しているのか、国家試験って何なのか、どうやって『一人前』になっていくのか…。
もっといい医者との関係を作っていくために、もっとよく医者を知ることからはじめてみましょう。
授業時間割表(参考)
医学部専門教育科目教育課程表(参考)今年の春、僕はいよいよ最終学年を迎えようとしている。そう、来春には大学を卒業し、医者として社会人の第一歩を踏み出すことになる。
今回、「医大生の生活」と言うテーマで原稿の要請を受けたわけだけれども僕に取っての医大の在学期間はとても長くハードでなおかつ多忙な期間であったように思える(僕の場合、結果的に7年になってしまったけれど…)。
医大生になる前に学部が13もあり学生総数1万人以上のマンモス大学に在籍していたことがあったのだけれど、この医大に入学してある種の息苦しさを感じた。よい表現が思い付かないけれど、大学生特有の自由というものがほとんどなかった。それはキャンパスの大きさや学生数の違いもあるだろうが、それだけの理由ではないような気がする。一般的には、大学は昔より規模が大きくなり、先生と生徒の個人的な接触がなくなりつつある。けれども、医科大学というものは話はまったく別である。医大は六年制だから生徒総数は600人くらいである。そして、先生の数は教授だけでも50人ほどいる。同じ数の助教授がいて、その倍以上の講師がいる。そして、その数倍の助手がいて、若い先生方がいて、そのほかにも事務職員や病院職員がいる。こうしてみると、学生より多い職員に、学生は取り囲まれているような感じなのである。先生と生徒の関係は望む望まずに関わらず密接なものになっている。
また他の学校では先生たちはまず教員である。だが医大の教授は、ある意味では、医者の出世の頂点であり、絶大な権力を握っている。そして、医学生は医学を教わる生徒という立場ばかりではなく、医者という集団の新兵でもある。そういう意味では他の大学の教授と権威がまったく違っている。また、他の大学は企業に社員を送り込む就職予備校化しているのに対し、医大は学生を医者という専門家に養成するところなのだ。しかも、養成された医者は、博士号をとるための研究、臨床研修から、学閥により分かれた病院のポストまで大学との関係は切れることはなく、一生、グループにつながれていく。つまり、人間関係が希薄になりつつある他の大学と比べて、医科大学はあまりにも人間関係が密接に縛り付けられているところに、僕が感じていた窮屈さの原因があるのではないかと思っている。
それでは実際の大学の様子について述べようと思う。大学に入って1年半は教養課程であり、他の大学と同じように語学や経済学、法学、文学、哲学、人類学などの人文系や物理学、化学、生物学、発生学、数学などの理系、そして実験を学ぶ。通常の大学では一般教養を二年かけるのに対し、一年半という短期間で終えるのでかなりいそがしかった。そして(大学にもよるが)出席は非常に厳しくとるし、先生方は顔写真、プロフィール、過去の成績などが記載された学生簿(閻魔帳ともいう)を持っており、生徒のことをくわしく知っているので代返やサボタージュはできない。
僕の大学にはキャンパスというものがない。電車通りに面して続く三階建ての煉瓦色の大学やそれと遊歩道一本隔てた十階建ての附属病院と臨床科の入った研究棟はそれなりに堂々としていてあたりを威圧している。だが正面玄関は道からすこし奥まっているだけで塀はなく、外から建物すべてが見渡せた。それまで僕がいた学内に農場をもつような広さのキャンパスから見ると比較にならないほど小さく頼りなかった。
テストは五ヶ月ごとに行われる。各学年に撃墜王と呼ばれる先生方が2、3人いてクラスの三割ほどは引っかかる。再試験はきびしく一度しか実施してくれない(一回の再試験で通らなければ留年)。また、四科目以上不合格になると再試験も受けられず即留(その場で留年決定)となる。留年者の人数は毎年決まっているので、その中に入らないように仲間を蹴落としてまで進級しようとする。試験中はまさに他人を蹴落としても自分が生き残るためのサバイバルゲームが展開される。
二年目の後期から解剖学、生理学、生化学といった基礎医学の授業がはじまる。他に毎週、午後二回の実習があった。実習室は広く大きく、百人の学生が一人一人独立して実験できるだけのスペースが十分にあり、大きな講堂でマイクを使う講義になれていた僕には、ずいぶん贅沢な感じで、これでは医学部は金がかかるはずだと思った。だが、それだけに実習は厳しく、一日休むと次の実習ではなにをやっているのかわからなくなる。しかも助手がたえず巡回していて質問を浴びせてくる。
それでも生理学はすこし臨床に近づいた感じがあって、興味を抱いた。講義では人体の呼吸、神経、筋、体温調節機構、発汗、消化、排泄のメカニズムを総論的に教わり、実習は学生同士で感覚、運動を検査したり、カエル、ラットなどの生物の神経、筋、内臓を材料に行う。筋肉の疲労という実習内容では、カエルの腹から足の先まで皮膚を剥ぎ、神経を露出させて針金に吊るし、大腿の神経に電流を流して刺激を与える。神経の根部を刺激されるたびに、カエルはびりっと脚を縮めるが、これを数回繰り返されるうちに反応が鈍くなり、最後にはほとんど反応しなくなる。この状態を「疲労」といい、反応しなくなった脚の筋中に乳酸という疲労物質がたまっている。このようにして何気なく使っていた「疲労」という言葉の意味を論理的に理解していく。カエルは皮を剥がされ、神経や心臓を露出され、筋も取り出されて、最後は骨だけになって死んでいく。残酷だがその過程で生体の機構はよくわかる。腰の神経を針で刺し、脚が縮む。その事実を観察しているうちに、生体の巧みさに感動し、いつしかカエルが苦しんでいることも忘れてしまう。動物への痛み、苦しみを思いやることより、生体のメカニズムの方に気を奪われる。何匹ものカエルを解剖していくうちに、切っていく行為に抵抗を覚えなくなっていく。動物への気持ちよりいかに短い時間で上手に神経を出してやろうかと思うようになる。考えてみると、この動物実験は、来るべき人体実習への準備だったのかもしれない。
基礎医学のときに最も多い時間をかけて学ぶのが解剖実習である。僕はこれまでに死体に触れる機会はなかった。それまで死は映画や小説、ニュースの中での存在だった。それが今、屍体を目の前にして、自らの手で切り開いていく。そのことを考えると解剖実習が始まる前夜、軽い興奮で寝付けなかったのを憶えている。
解剖実習ではジャージなどいらない服に着替え、その上に解剖用の白衣を羽織る。こうしないと洋服全部に屍臭が付いて外を歩けない。もっとも着替えたところで髪の毛や手足についた匂いは防ぎようがなく、あとで風呂に入っても体に染み付いたようで落ちた気がしなかった。また、食べ物の中には遺体の一部のように思えて食べられなくなるものがあった(例えば、スクランブルエッグは皮下脂肪にそっくりである)。ほかに、消毒剤が指から入り指がひび割れたり、消毒剤に負けて皮膚に湿疹ができるので特に女性は困っていたようだった。
しかし、最初は皮にメスを入れるのさえ躊躇していた学生が、一ヶ月もすると内臓を力任せに引っ張ったり、眼球を取り出したり、だんだん大胆になっていく。そのあまりの代わりように自分でも驚くことがあった。医者になるということはある種の感覚を麻痺させていく。医者は毎日、他の人にとっては非日常である死と向かい合わねばならない。実習の目的は体の構造や仕組みを学ぶことであるのはもちろんだが、死に慣れ親しむことにもあるのかもしれない。
実習では一体の解剖をほぼ三ヶ月かかって終える。解剖は上半身と下半身の2回行うが、一体が終わるごとに、屍体を目の前にして教授から口頭試問を受ける。覚える知識の量は膨大であり、一つの筋をとっても十数本の神経や血管が出ている。その一本一本についてどこから始まってどこで分かれ、先はどこにつながっているのか暗記しなければならない。しかもそのつながった先の表層にある筋や血管、神経はすでに除かれて残っておらず、記憶もほとんど残っていない。それで試験の三週間前ぐらいから授業が終わった後や休日に夜更けまで解剖室にこもりっきりで勉強することになる。以前だったら十数体もの遺体を前にしてたった一人でいることなど恐くてできないと思っていたのにいまでは平気でやっている。こうして屍体に慣れ親しんでいくことで死に対する畏れが薄まっていく。
四年目の夏休み明けから臨床医学に入った。それまでカエルの生理や人体解剖、病理学、薬理学、公衆衛生など基礎医学を学んでいたのが、生きた人間を扱うこととなる。内科や外科、周産期科、婦人科、麻酔科、放射線科などの科の他に、救急部、検査部、機器診断部などの部を入れると30以上に及ぶ講義を受ける。その中には、明日誰かに聞かれてもすぐ役に立つはずの医学知識が入っていた。それだけに学生の授業に対する意気込みも違った。しかし、その情報量は膨大で、医学の進歩は非常に早く、一年経つごとに電話帳一冊ぶんぐらい憶えることが増える。記憶力のよくない僕はその機構や仕組みをゆっくり吟味する余裕もなく、流されるように授業を受けていき、気がつくと10ヶ月が過ぎ講義が終了して、試験がはじまった。試験の量も膨大で、一日おきに試験をしても終わるまでに二ヶ月かかるという大変なものだった。
試験が終わると、聴診器を買い患者を直接見ながら実地で学んでいく病院実習が始まった。本当はまだほとんど医学知識のない学生が問診をし、簡単な臨床検査をする。科によっては学生一人一人に患者が割り当てられることもある。学生にあたった患者さんも不安だろうが、学生も初めてのことでおっかなびっくりやっている。
この患者に接して病気を学ぶほうが本を読むよりよくわかるし記憶も確かである。こうして経験していくうちに医学というのは科学というにはあいまいすぎるように思った。医学はいくら知識を取り入れても肝心の臨床ができなければ駄目だ。偏屈でへそ曲がりならチームワークの必要な手術はできないし、患者ときちんと話ができなければならない。医学知識だけでなく小手先の器用さ、決断力なども必要である。
救命救急部の実習では医局に泊り込んで患者の運ばれてくるのを待つが、ちょうど豊浜のトンネル崩落事故に当たって一睡もできないこともあった。
今、僕は厳しい外科の実習を終えて2週間の短い春休みの最中である。どこの科に行くかはまだ決めていない。医局の中でゴタゴタがおきてても一人でやっていける科を考えているのだが、なかなか難しいようである。
医学部教育は建前としては「患者の気持ちのわかる全人的医者作り」を目標としている。しかし実際には、病気の人にどう接していくのかについては教えてもらえない(もっとも、そんなことは人から教わる種類のことではないのかもしれないが)。
膨大な医学知識を詰め込むだけで、六年間はあっという間に過ぎてしまう。相手を思いやるより、その中で競争心を煽るような教育を受けてきた。すなわち、医者というのは、競争社会の中を行きぬいてきた、他人に負けるのが嫌いな人、どうすれば人を出し抜くことができるか知っており、そのための努力ができる人である。そのような人たちに「無私の心で診察にあたって欲しい。功名心をもつべきでない」と望むことはかなり難しいことだと思う。それらのことは医学教育で学ぶというよりはむしろ、社会に出て患者と接することにより患者から学ぶことが多いと思う。
だから、医者は立派な人だという先入観を捨てて、至らないところはどうぞ教えて欲しい(医者にはこんなこと言ってはいけないなどと思わずに)。
医者は一方的に患者に施す存在ではなく、患者からたくさんのことを教わる。それが素直にできる医者を名医と呼ぶんだと僕は思っている。無論、そのためには5分間診療だとか、患者の顔を見ずに検査結果のみから判断する医者の態度など変えなければならないことが多いけれど…。[くまのプーさん]