人はどうやって医者になるのか[5] |
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実習に忙しい医学部5年生 かとうこうじ
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「お医者さん」というと、とても崇高で素晴らしい職業と思う人が多いような気がします。「病院の先生なんだから任せておけばいい」「さすがに医者よね」「親のようによくしてくれる小学校から世話になっている医者」とかってよく言います。なんだか、教会の神父さんと比較できるくらいに神聖な存在で、ウルトラマンも顔負けするほどの「正義の見方」であるかのごとくレッテルを貼られています。
でも、考えてみれば「お医者さん」はただの人間なのです。そして人間の本質の一つとして「エゴイズム」を挙げることができるとするならば、「お医者さん」だって「エゴイズム」に無縁でいられるわけはないはずです。
たとえば、自分の治療方針と上司の治療方針とにずれがあったら、出世したいからきっと上司に従うでしょう。不必要な手術でも、それが自分の功績となりデータとなって世間的に認められるならば手術をしてしまうでしょう。もしもなんかの薬を使えばお金がもらえるというのならば、金銭欲が働いてその薬を使いたくなるでしょう。どっかの病院の医院長になって骨髄バンクセンターを作れば自分の名が売れるというのならば、あの手この手を使ってそうしようとするでしょう。
こういった出世欲、功績欲、金銭欲、名声欲などの欲望を「お医者さん」はたくさん持ち合わせています。というよりか、なんとなく勝手な印象では、むしろこういった欲望をふつうの人以上にたくさん持っていることが多いんじゃないでしょうか。
「『お医者さん』だって人間で、エゴイスティックな欲望のかたまりだ」…そう割り切って考えることで、エイズ診療の体制を整える方向性を考えていく大きな糸口が実はつかめるのではないのだろうか、と最近は感じています。「お医者さん」の「善意」を期待するのではなく「欲」を認めて、それらをうまく調整していくことが大切なのではないかと…。皆さんはどう考えますか?[かとうこうじ]