ちょっと医学的な免疫学初級講座[後編] |
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林直樹
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96年3月24日、林直樹医師を講師に行われた「ちょっと医学的な免疫学入門講座」報告の後編です。 HIV感染症をより理解していくための一つのアプローチとして、免疫学についてなるべくわかりやすく解説していきたいと思っています。ご質問などございましたらどうぞLAPまでお寄せください。
前回、免疫反応の主役はリンパ球で、リンパ球にはT細胞とB細胞があって、B細胞が抗体をつくるが、全体の指揮をとるのはT細胞というところまで話をしたと思います。
ここで、抗体について少しお話ししておきましょう。
抗体は免疫グロブリンという蛋白質でこれは図9のようにY字型をしており、長短2本ずつのポリペプチド鎖(アミノ酸が多数連なったもの)からできています。
長いほうをH鎖(heavy chain)、短いほうをL鎖(light chain)と呼びます。
抗体をある酵素を使って分解するとFabとFcの2つに分かれますが(図9)、このうちFabが抗原と結合する部分です。
抗体はH鎖の種類によって5つ(IgG、IgM、IgA、IgE、IgD)に分けられます。
IgGは抗原抗体反応の主役となるもので、量も多く攻撃性も強い抗体です。免疫グロブリンの中で唯一胎盤を通り、新生児の免疫にもあずかっています。
IgMは5量体(免疫グロブリンが5つくっついている)(図10)で存在し、感染の初期に現われる抗体です。しかし力は弱い。
IgAは主に2量体の形(図11)で、腸管粘膜にたくさん存在しています。ヒト(に限らず動物)はいわば管のようなもので、腸管というのは直接外界と接している所なのです。当然免疫の守りも固くなるというものです。また母乳には、IgAが多く含まれており、赤ちゃんの消化管の免疫作用に役立っています。
IgEは花粉症や喘息などの「アレルギー反応」に関わる抗体。
IgDの働きはまだよくわかっていません。
抗原と抗体の関係は、しばしば鍵と鍵穴の関係に例えられます。すなわち、ある抗原が侵入してくると、それにぴったりと合った抗体が結びつく(図12)。
そうであるなら、当然次のような疑問が生まれてきます。
「自己」以外のありとあらゆる抗原となりうる「異物」に対して、抗体は備わっているのだろうか。昔のひとは、ある抗原が入ってくるとそれを「抗原認識系」みたいなものが認識して、それに対応する抗体を作り出すのであろうとと考えていました。まあ妥当な考え方ですね。
ところがバーネットという人が、それに異を唱えました。バーネットは、そもそも体内では、「自己」「非自己」にかかわらず、すべての抗原に対応する抗体を作れるだけのリンパ球が作られるが、「自己」に対するものは、胸腺のところでお話したように周到に排除され死滅する。「非自己」に対するものだけが生き残るが、それが体内を巡るうち外来の未知の抗原に接触すると、その接触したリンパ球だけが増殖し抗体を産生すると考えました(図13)。
これをバーネットのクローン選択説といいます。
もう一度図9を見てください。抗体のFab部分の端に「可変領域」というのがあります。Fabというのは抗体と結合する部分でしたが、この「可変領域」の組成(アミノ酸の配列)が変化することによって、数限りない抗原との結合が可能になるのです。
ここでまた疑問が生まれてきます。抗体のような蛋白質は遺伝子の情報を読み取ることで作られますが、限られた数の遺伝子であらゆる種類の抗原に対応する抗体を作ることが、いったいどうして可能なのかという疑問です。
これは長いこと科学者たちの謎でしたが、それを解き明かしたのがノーベル賞受賞者、日本の利根川進博士なのです。その答えは一言でいうと「抗体の遺伝子は組替えられる」です。
遺伝子というのものは、突然変異を除き、基本的には不変のものです。そもそも親から子へと形質を伝えていく手段として、変わっては困るものなのです。それが抗体の遺伝子では、遺伝子を分割して、それを再構成してという突然変異がほとんどランダムに起こっている。
このような驚くべき仕組みで、「地球上に存在しないものにも反応し得る(多田富雄)」恐るべき多様性を持った免疫系が作られるのです。
それでは、ある病原体が体内に侵入してきたと仮定して、免疫反応の実際を見てみましょう。図14を見てください。体内に入り込んだ病原体は、マクロファージ(図4)に食べられます。マクロファージというのは、白血球の一種で「貪食細胞」ともいい、感染の初期に病原体を相手にかかわらず、食べてしまう役目を負っています。病原体だけではなく、体内にできた老廃物も食べてしまいますから、いわば「体の掃除屋さん」です。マクロファージの持つもう1つの大切な役目は、そういう病原体が入ってきたことを、他の免疫を担う細胞に伝えることです。マクロファージに取り込まれた病原体は、分解され細かな部分に分かれますが、その一部がマクロファージのMHC(HLA抗原)とくっついて再びマクロファージの表面に現われます。それをT細胞が認識するわけです(図15)。これを抗原提示といいますが、興味深いのはT細胞が病原体を直接認識するのではなく、病原体(の一部)によって変えられてしまった「自己」を認識するのだという点。ここにも「自分を自分として維持する」ための強力な力を感じます。
ところで、T細胞の表面にも抗体と同じように、多様な抗原を認識できるレセプター(受容体)があって、マクロファージの提示した抗原をそれに対応するレセプターを持つT細胞が認識し、活性化されます。ヘルパーT細胞が活性化されると、これはサイトカイン(リンフォカイン)という物質を出してキラーT細胞を活性化したり、B細胞に抗体を作るように指令を出します。こうして全体としてその病原体に対応する免疫系が活性化されるわけです。そうして病原体に打ち勝ち、活発に働く必要がなくなると、サプレッサーT細胞が働き、免疫系を沈静化するのです。
このサイトカインという物質、T細胞だけではなくいろいろな免疫細胞からたくさんの種類が出ていて、いわば免疫細胞系の「インターネット」という感じです。ちなみにマクロファージの出すIl-1という物質には体温を上げる働きがあります。肝臓病の治療で有名なインターフェロンもサイトカインの一種です。サイトカインによる相互作用によって、免疫系は微妙なバランスを維持しているのです。
免疫の世界のほんの入り口を急ぎ足で見てきました。なにしろ、いまが旬の学問で、知識が加速度的に集積されている最中ですから、全体を見回すなんて無理な話。これを聞いたみなさんが、興味を持って本でも読んでみようかと思われたら、私のこの話は大成功だったということになるでしょう。最先端の科学というのはいつもそうですが、免疫学も知れば知るほど、一種哲学的な、崇高な気持ちになると思いますよ。それだけ奥の深い学問です。それでは今日の私の話はこのへんで終わりにします。[林 直樹]
▼「免疫の意味論」多田富雄著、青土社、一九九三年
▼「免疫 生体防御のメカニズム」奥村康著、講談社、一九九四年
▼「医科免疫学改訂第2版」菊地浩吉編著、南江堂、一九八一年
▼「医科免疫学改訂第4版」菊地浩吉編著、南江堂、一九九五年
▼「入門ビジュアルサイエンス からだと免疫のしくみ」上野川修一著、日本実業出版社、一九九六年