98年12月5日(土)に東京で開催された日本性感染症(STD)学会第11回学術大会に参加してきました。
その中で、HIV疫学(演題29-32)、HIV(演題33-35)、STD疫学(演題39-42)、STD動向(1)&(2)(演題43-48)、教育講演「梅毒の現状と臨床的変化」、シンポジウム「ピル解禁とSTD」、イブニングセミナー「HIVの母子感染」について簡単に報告します。
なお、次回の日本性感染症学会学術大会は99年(平成11年)12月5日(日)に再び東京にて、また、次々回は2000年に愛知県で開催される予定です。
日本性感染症学会第11回学術大会プログラム 1. 会期:平成10年12月5日(土)9:00〜18:00 2. 会場:コクヨホール東京都港区港南1-8-35(品川駅より徒歩5分) 3. プログラム(一般演題を除く)
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■一般演題『HIV疫学』
29 我が国におけるHIV感染妊産婦への対応ならびに母子感染に関する調査
都立大塚病院産婦人科宮澤豊先生らが組織する東京都立病産院HIV母子感染発生機序の解明と予防に関するプロジェクト研究班による報告です。妊産婦に対するHIV抗体検査の実施率、HIV陽性妊産婦による出産事例等について、200の全国産科医療機関施設を対象として調査を行い、146施設からの回答をまとめたものです。
この調査によると、約80%の施設において、妊産婦に対するルーチン検査として、HIV抗体検査を行っていました。今から5年ほど前に妊産婦に対するHIV検査の費用に対する公費補助が一部で始まった時には、HIV陽性妊産婦に対する診療・分娩拒否あるいは中絶勧奨等が行われるのではないかと大いに危惧したものですが、その後、感染妊産婦による出産事例の蓄積もあり、かなりの施設でルーチン検査として、HIV抗体検査を行った上で分娩が行われるようになったようです。
また、帝王切開による出産の方が経膣分娩による出産よりも母子感染率が低いという結果になっていますが、これは一般に帝王切開の方が分娩管理が容易であるということによるものだと思います。30 HIV感染妊婦における他の性感染症合併に関する検討
男女を問わず、何らかの性感染症に感染していると、HIVに感染する確率が高くなるとも言われますが、この報告によると、HIV感染妊産婦21名(日本人9名、その他12名)について調べた限りでは、日本人の一般妊婦と比較した場合、他の性感染症の合併に差異はないとの結果が得られています。
症例数があまり多くないので、断定的なことは言えませんが、HIV感染と関連があるのは、性感染症の既往の有無自体ではなく、性行動の差異ではないかと示唆する結果でした。すなわち、特定の性行動を行った場合には、性感染症の感染率が高まると同時に、HIV感染の確率も高まると言うことが推測されます。31 本邦におけるHIV-1母子感染
国立感染症研究所で行ったHIV感染妊産婦から生まれた小児のHIV感染の有無を調べた検査結果をまとめたものです。新生児の場合、母親からの移行抗体があることから、成人と同じような抗体検査では感染の有無を判断することができず、多少特殊な検査を行います。
この報告によると、検査した53件のうち13件(24.5%)が陽性でした。この数字は演題29の報告による母子感染率27.6%と近いものであり、現時点の日本における母子感染率は25%程度と見て良いのではないかと思います。諸外国の研究事例によれば、HIV感染に対する適切な治療が早期に行われ、感染妊産婦の状態が良い(HIV血中ウイルス量が少なく、CD4が多い等)ほど、母子感染の確率は低減しますから、妊産婦あるいは妊娠可能な女性のHIV感染を早期に発見することにより、日本における母子感染率を数%程度にまで下げることできるのではないかと期待しています。32 STD症例及びHIV感染例における各種STD及びHIV抗体陽性所見の関連性の検討
HIV感染例260例と各種STD症例4,190例、それに健康成人237例、妊婦1,545例、Comme-rcial Sex Worker(CSW=性産業従事者)1,741例を比較して、各種STDとHIV感染との関連性を調べたものです。
この報告によると、HIV症例、STD症例、CSWにおける各種STD抗体陽性率は、ほぼ同じで、健康成人に比べて高くなっています。STD感染がHIV感染の危険を高める可能性は否定しませんが、それよりも、むしろSTD感染を招くような性生活ないし性行動がHIV感染の危険をも同時に高めていると思われます。逆に言えば、STDの予防は、すなわちHIVの予防にもなるということでしょう。また、同時に潜伏期の長いHIVの今後の流行状況を予想する上で、潜伏期が短く動向が早期に明らかになるSTDの流行状況を把握することの重要性を物語るものと思われます。
■一般演題『HIV』
33 一般社会人のエイズに関する意識・知識、性行動の実態について
サラリーマン291名(男217名、女73名)に対して、エイズに関する意識調査を行ったものです。
この報告によると、大部分の人は、自分がエイズに感染する可能性は低いと考えています。これはHIVの感染様式等を理解した上で、感染予防を行っているから可能性が低いと考えているのではなく、ただ漠然と大丈夫だろうと思っているだけのようです。
報告者らは、感染予防のための健康教育の重要性を訴えていますが、予防方法だけでなく、もう少し基礎的なHIVの感染様式に関する知識の普及も必要ではないかと感じました。34 HIV感染症と顕性梅毒合併症の2例
梅毒の症状を訴えて来院した患者について、HIV抗体検査を行ったところ、いずれもHIV抗体陽性であったと言う臨床事例の報告です。
典型的な梅毒とは、やや異なる症状も見せていますが、これが梅毒とHIVとの重複感染によるものなのか、あるいは、感染時の梅毒菌量が多かった等、この患者に特有の他の原因によるものなのかは分かりません。
いずれにしても、STD患者の診療に際しては、HIVとの重複感染についても念頭において診療すべきであることを示唆するものです。今後は皮膚科、泌尿器科、性病科等におけるHIV抗体検査により、HIV感染が判明するケースが増えるかも知れません。35 HIV-1における2'-β-Fluoro-2',3'-Dideoxyadenosine (F-ddA) 耐性の誘導
最近、米国において開発されたばかりの抗HIV-1ヌクレオシド系逆転写酵素阻害剤について、その耐性株を人工的に作製し、特異的アミノ酸変異を検索することによって、耐性メカニズムを明らかにしようというものです。
研究としては、面白いものでしょうが、まだ、実用化されていない新薬に対する耐性株をわざわざ人工的に作り出すと言う手法については、若干の不安と疑問を感じました。
■一般演題『STD疫学』
39 10年間の男子尿道炎の臨床的研究
ある病院を受診した男子尿道炎患者686例について、分類したものです。
淋菌性尿道炎が39%、非淋菌性尿道炎が61%と非淋菌性尿道炎の方が多くなっています。また、非淋菌性尿道炎の61%にはクラミジアが検出されていますが、淋菌性尿道炎においても20%に同じくクラミジアが検出されており、クラミジアの検出率は併せて45%となります。つまり、男子尿道炎の原因としては、クラミジア単独37%、淋菌単独31%、クラミジアと淋菌の重複8%、その他24%ということになります。
また、感染源については、淋菌は特殊浴場とファッションマッサージが多く、クラミジアは友人が多くなっています。おそらく淋菌については、CSWを介しての他の男性患者からの間接的な感染、クラミジアについては、症状の軽い女性患者からの感染が主たる原因ではないかと推察しています。40 Commercial Sex Worker(CSW)におけるG型肝炎ウイルス感染
最近、発見された新しいタイプの肝炎ウイルスであるG型肝炎について、性感染症と考えて良いかどうかを検討するために、CSWにおける各肝炎ウイルス等の感染率を調べ、HCV高浸淫地区の同年代の女性と比較したものです。
この報告によると、CSWのG型肝炎ウイルス感染率は有意に高くなっています。しかし、その一方で、C型肝炎(HCV)、B型肝炎(HBV)、梅毒の感染とG型肝炎の感染との間に相関関係は認めませんでした。
この報告から、直ちにG型肝炎をSTDの一つと位置付けるのは早計かも知れませんが、G型肝炎が性行為によって感染し得るものであることには、今後、十分に注意を払うべきではないかと思います。41 Commercial Sex Worker(CSW)のSTD罹患状況
過去10年間に広島のある診療所において、ソープランド嬢185人に対して行われた延べ1,069回の淋菌とクラミジアに関する検査結果をまとめたものです。
淋菌陽性が26人(14.1%)、クラミジア陽性が94人(50.8%)という結果ですが、クラミジアについては複数回陽性となった人が約半数に見られ、再発ないし再感染の多さが窺われました。42 性感染症の危険因子に関する調査研究
複数の診療所に来院したCSW100人を対象として、自記式アンケートを行ったものです。
避妊具を使用していないにもかかわらず、妊娠歴が少ないことに注目して、環境ホルモン云々と報告していましたが、何が言いたいのか、良く分かりませんでした。他の研究発表などによると、オーラル・セックスの頻度と口腔内STD感染の頻度が高まっていることが示されているので、むしろ、経膣性交の減少ないしは膣外射精の増加といった側面から、捉えたほうが良いのではないかと思います。
■一般演題『STD動向(1)&(2)』
43 上海における性感染症の罹患率
上海の大学病院産婦人科を受診した患者1,000名について、淋菌とクラミジアの感染を調査したものです。
この報告によると、クラミジアの罹患率は4.8%、淋菌の罹患率は1.4%です。淋菌の感染率については、各集団ごとに有意の差異は見られませんでしたが、クラミジアについては、独身者や中絶希望者においては感染率が高くなっていました。なお、中国政府の公式統計では、クラミジアの罹患率は2.5%、淋菌は0.06%であり、特に淋菌の感染率について、この調査との間に大きな相違が見られました。44 宮崎県における性感染症の現況
宮崎県内の泌尿器科を受診した患者1,167名(男1,102名、女65名)について調査したものです。
男性の疾患別頻度はクラミジア感染症33.7%、淋疾27.7%、非淋菌性非クラミジア性尿道炎24.1%、陰部ヘルペス5.8%、尖圭コンジローマ3.9%、女性の疾患別頻度はクラミジア感染症52.9%、淋疾19.1%、陰部ヘルペス10.3%でした。男性の感染源は女友達36.7%、CSW28.1%、ゆきずり18.6%であり、女性の感染源は男友達50.1%、夫29.2%でした。発表者らは宮崎を田舎と評していましたが、STDの動向と言う点では都会と差異が無いと言う結果になっています。45 北九州におけるSTDの現況
北九州市内の医療施設を受診した患者799名(男508名、女291名)について調査したものです。
疾患別頻度は、男性ではクラミジアと淋疾が各30%、女性ではクラミジアが55%、性器ヘルペスが30%でした。年齢別では、30代までの若年者が多いが、トリコモナスと毛虱については40代での罹患が多くなっています。46 兵庫県における性感染症疫学調査の問題点について
全国調査の一環として兵庫県で行われている感染症サーベイランス事業の結果と、兵庫県STD研究会の調査結果とを比較して、問題点を調べたものです。
クラミジア性尿道炎の頻度が少ない、女性における陰部ヘルペスと尖圭コンジロームの頻度が少ないなどの問題点が指摘されました。47 1994年〜1997年のSTDの動向
広島市周辺の医療施設を受診した患者、男2,161人、女797人について調査したものです。
疾患別頻度は、男性では非淋菌性尿道炎が74.0%、クラミジア性尿道炎が25.5%、淋菌性尿道炎が13.7%、陰部ヘルペス6.8%、尖圭コンジローマ4.7%であり、女性では非淋菌性子宮頚管炎が66.0%、クラミジア性子宮頚管炎44.3%、陰部ヘルペス24.5%、膣トリコモナス3.8%、尖圭コンジローム2.9%、淋菌性子宮頚管炎2.4%、でした。年齢別では、20歳代が約4割、30歳代が約3割、40歳以上が約2割でした。男性の淋菌性尿道炎に増加傾向が見られています。48 一般泌尿器科医院におけるSTDの動向
過去10年間にある泌尿器科医院を受診した患者、男6,940人、女458人について調査したものです。
疾患別頻度は、男性では、非淋菌性尿道炎、淋菌性尿道炎、クラミジア性尿道炎、性器ヘルペス、尖圭コンジローム、毛じらみ、梅毒の順であり、女性では淋菌性子宮頚管炎、非淋菌性子宮頚管炎、クラミジア性子宮頚管炎の順でした。1991年まで患者数は増加傾向にありましたが、その後、著名に減少し、一時は最盛期の約半分にまで減少しました。しかし、1996年以降、再び増加し、特に淋菌性尿道炎におけるオーラルセックスによる感染の頻度が5%から40%以上へと著明に増加しています。
■教育講演『梅毒の現状と臨床的変化』
大阪府立万代診療所長大里和久先生による梅毒についてのレクチャーであり、主な内容は次のとおりです。
(1)フェラチオによる感染の場合、感染時の菌量が多くなり、初期硬結から硬性下疳という通常の経過をとらず、当初から複数の下疳を発症することが多い。
(2)臨床医においても、STS抗体価とTP抗原系抗体価の違いを理解していないことが多く、しばしば混乱を招いている。すなわち、梅毒の治療後、STS抗体価は低下し、陰性化するが、TP抗体価は低下せず、梅毒治癒後も長期間、抗体陽性を持続することがある。
(3)従来、梅毒は臨床症状に応じて1期から4期までに分類されていたが、最近は、感染2年以内を早期梅毒とし、それ以降を晩期梅毒とする病気分類が行われている。
■シンポジウム『ピル解禁とSTD』
過去30年以上にわたって、日本における解禁の是非が議論されてきた低容量ピル、すなわち避妊を目的とした経口ホルモン剤について、最近ではAIDSをはじめとしたSTDの流行を助長するのではないかと言う議論が行っています。このシンポジウムは、ピル解禁によるAIDS/STDの流行への影響について、4人のパネリストがそれぞれ意見を述べるという形で行われました。
各パネリストの意見を正確に伝えることは難しいのですが、敢えて要約すれば、国立感染症研究所の井上栄先生は、ピル解禁によってコンドームの使用率が減少し、AIDS/STDの感染率が高まる虞があるという意見であり、ぷれいす東京の池上千寿子さんは女性のエンパワメントを強調していました。日本家族計画協会の北村邦夫先生は、望まない妊娠を防ぐために、避妊法としてのピルの有用性を訴え、虎の門病院の堀口雅子先生は、「生殖の性」とは別に「喜びの性」の観点から、男女が責任を持って妊娠を避けるための手段としてピル解禁を訴えていました。
ピルの使用に対して、日本では何故か異を唱える人が多いようで、主要国の中では、ほとんど唯一といって良いピル禁止国となってしまいました。
カソリックの影響も強くピルに限らず避妊薬・避妊具や人工中絶に対するアレルギーの強いフィリピンでもピルは認可されています。コンドームがごく普通に街で売られ、人工中絶が公然と行われている日本において、なぜピルだけが禁止されているのか、不思議に思う人も多いのではないかと思います。
ピル解禁に対する反対論としては、その時々により、長期に服用した場合の危険性、STD流行の懸念、環境ホルモンとしての危険性など様々な理由が挙げられてきましたが、いずれもピルを禁止する理由としては、いささか根拠が乏しいのではないかと思っています。また、バイアグラが異例のスピードで認可されようとしていることに比べて、ビルの認可が遅れているのは、日本の政治が男性中心の旧態依然とした体質のままだからではないかと言うやや穿ったような見方もありますが、各界の権威と言われる人たちを見ていると、日本的な長老支配の伝統がピル解禁を阻害していると言う議論にも共感できるような気がします。
いずれにしても、コンドームの使用目的を避妊と認識している人々が70ないし90%を占める現状では、ピル解禁によるコンドーム使用率の減少と言う事態を招く虞が十分にあります。今後はAIDSに限らず、広くSTDの予防のために、コンドームを使おうと言うキャンペーンが必要ではないかと思います。
■イブニングセミナー『HIVの母子感染』
浜松医科大学小林隆夫助教授によるHIV感染妊婦から児へのHIV感染についてのレクチャーであり、主な内容は次のとおりです。
(1)母子感染の機序としては、1)経胎盤感染、2)経産道感染、3)経母乳感染の3つが考えられるが、一般に妊娠末期(35週以降)、子宮収縮などにより母体血が胎児側に流入しやすくなる時期から分娩時にかけて、HIVに感染する可能性が高い。
(2)経胎盤感染は妊娠早期に子宮内膜から胎盤絨毛細胞を介して、胎児内血液へHIVが侵入することによって成立するが、この時期には、たとえ感染が成立しても流産することが多く、臨床的に母子感染として問題になることは少ない。
(3)母子感染のリスクファクターとしては、破水後4時間以上経過した分娩、絨毛羊膜炎、早産、低出生体重児、妊産婦のHIV-RNA高値、CD4リンパ球低値等があげられ、これらを軽減する上で、また、経産道感染のリスクを軽減するために、帝王切開は有用である。米国では、HIV感染妊産婦へのAZT(抗HIV剤)投与が勧められている。[福田光]
ホームページ・Personal Health Center(PHC)
http://www.mars.dti.ne.jp/~frhikaru/