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新しい啓発を始めよう

草田央 

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 ■十年前から変わらない予防キャンペーン

 一九九八年は、HIV感染者の身体障害者認定制度がスタートした画期的な年であった。しかし、制度はスタートしても、福祉の領域に感染症が入ってくることの福祉関係者の戸惑いは大きく、今までの身体障害者たちからの反発も強い。今やHIV感染者よりも深刻な状況に陥っていると言える肝臓病患者などに福祉の手を差し延べるためにも、HIV感染者も含めた既得権者の権益を解放し、従来の福祉制度の解体・再構築を迫る年にしなければならないハズであった。それゆえ、十二月三日の「国際障害者デー」から十二月九日の「障害者の日」までの「障害者週間」などで、この問題も一つの大きなテーマとして取り上げられるのではないかと期待していたものだ。少なくともエイズ関係者からは、そのような取り組みがなされるのではないかと思っていた。

 ところが、今年もあいもかわらず世界エイズデーでの予防キャンペーンのみが行なわれたように思う。しかも、その内容は、十年前から変わらない、時代の変化にまったくそぐわないものでしかないように私には思えた。運動から身を退き、何もしなかった私に発言権があるのかどうかはわからないが、今のような状況を許してきてしまった者の一人として、いくつか指摘しておきたいと思う。

 ■WHO等は人間行動科学重視の感染症対策へ

 電車の中等で、ブラック・ジャックを使ったエイズの啓発ポスターを目にした。エイズに必要なもの、それは「正しい知識」である。……と書いてある。かつて、「知識こそが唯一のワクチン」といったキャンペーンが永年続けられていたが、そこから一歩も進んでいない。八〇年代と異なり、ある程度の「正しい知識」は、みな持っているというのが現状であろう。つまり、もはや「正しい知識」だけでは、感染予防のための行動の変容もできないし、差別 偏見のこれ以上の解消もできない……ということが、ここ数年で明らかになったと言えるのだ。効果 がないとわかっている手法を続けるのは、単なる税金のむだ遣いでしかない。実際、近年のエイズキャンペーンは、真に啓発の効果 を狙ったものではなく、単なる予算消化措置に成り下がっているとの指摘は多い。

 では、どうしたらいいのか。アメリカやWHOなどは、エイズを含め感染症対策に人間行動科学を重視し始めている。人間は「正しい知識」を与えられれば正しい行動をとるなどというシロモノではないのだ。特に性行為感染症は、その傾向が強い。何がネックで適切な行動がとれないのか、どうすれば人間の行動を変容させることができるのか、それを個別 具体的に研究し、対策に役立てていこうとしている。もはや、日本のような先進国で、不特定多数の一般 大衆を対象にした画一的な啓発キャンペーンをやっている時代ではない。やってはいけないとは言わないが、それしかないのが日本の悲劇である。

 しかも、その「正しい知識」と言われる啓発の内容も、大いに眉にツバをつけたくなるようなものが多い。

 ■日本のHIV感染者は急増中?

 皆さんの中には、最近、日本のHIV感染者が急増しているようなイメージを持っていなだろうか。実際、厚生省エイズ動向調査委員会の発表でも「過去最高」「過去何番目」といった表現が何度も出てくる。

 そこで、累積の患者・感染者数をグラフ化してみた[グラフ1]。累積だから、右肩上がりは当たり前。この傾きが患者・感染者の増加分である。傾きが年々きつくなってくれば「逓増」もしくは「急増」と言えるだろう。傾きが年々ゆるくなってくれば、「逓減」もしくは「頭打ち」と言える。日本の場合、その傾きは、そのどちらでもなく、ほぼ直線。つまり、毎年、ほぼ一定数の患者・感染者が報告されていることを表わしている。厚生省HIV感染症の疫学研究班は、これを「漸増」(少しずつ増えること)と表現している。

 しかも日本のサーベイランス(動向調査)システムは本人の同定をしていないため、相当数のダブルカウント、トリプルカウントがあると指摘されている。受診してきた感染者が、すでに報告されている患者かどうか、感染者本人はもちろん医師にもわからないのだ。動向調査委員会でも、それを確認できない。それゆえ、相当数水増しされた数字になっていることが予想されている。生年月日やイニシャルなどで本人を同定し、より信頼性の高いデータにする必要は、疫学研究班でも提言されているところである。

 感染率が低いとはいえ、いまだ逓減の兆しが見えないということは、対策が有効に機能していないことを意味し、予断を許さない状況ではある。かといって、急増しているわけではないので、パニックやセンセーショナリズムに走ることなく、冷静に着実に対応していくことが、日本の客観的な状況に最もふさわしいと言えるのではないだろうか。

 ■男性同性愛者への個別具体的な啓発が必要

 感染経路別では、異性間の性的接触が主流であると強調されてはいないだろうか。たしかに同性間性的接触に比べ、異性間性的接触による感染者数は多い。けれども、母数となる男性同性愛者(両性愛者を含む)と異性愛者とでは、圧倒的に後者の数が多いはずだ。同性間だろうと異性間だろうと、性的接触の感染リスクにほとんど差はないのだから、母数の大きい異性愛者の感染者が多いのは、当たり前の話なのだ。

 男性同性愛者と異性愛者の人口がわからないので、一九九三年のそれぞれの新規把握感染者数を基準として、それ以降の新規把握感染者数の推移をグラフにしてみて、感染者数の増加率を比較できるようにした[グラフ2]。基準値が同性間性的接触の方が小さいので、異性間性的接触より変動が大きく出やすいとは言えるが、それでもずっと異性間性的接触より同性間性的接触の方が新規把握感染者数の増加率が高いことが示されている。日本では、異性間性的接触より同性間性的接触の方が緊急の課題なのだ。少なくとも男性同性愛者に対する啓発が、うまく機能していないことを示していると言える。

 したがって、男性同性愛者をターゲットにした、個別具体的な啓発が、いま求められているのである。不特定多数の一般 大衆をターゲットに「異性間の性的接触が主流です」などというキャンペーンを行なうことは、日本の現状を正確に反映しているとは言いがたい。男性同性愛者には間違った安心感を、異性愛者には無用な不安を与えるだけである。それぞれのグループに対して、異なった啓発が必要とされるゆえんである。

 興味深いのは、同性愛性的接触にしろ異性愛性的接触にしろ、昨年(十月末まで)の新規の感染者数が少なくなっていることだ。残り二か月分を足してみても、おそらく前年レベルに達しないだろう。これが一時的なものか、それとも継続的な「頭打ち」現象なのかは、数年を経てみなけばわからない。しかしここでも、感染者が「急増」しているかのような主張は、誤りだと言えるだろう。

 ■都市部と地方では啓発の内容・手法を変える

 日本の感染状況は、依然として都市部(首都)集中型だと言われる。それを確認するために、都道府県別 の累計から東京の割合の推移をグラフ化してみた[グラフ3]。ただし、薬害エイズの被害者に関しては、都道府県別 のデータが公表されていないので、ここからは除かれている。

 すると一貫して三割強で推移しており、首都集中の様相に変化がないことが見て取れる。ここから言えることは、東京をはじめとする感染者の多い都市部と、感染者の少ない地方とでは、啓発の内容・手法を変えなければ意味がないということである。厚生省に右ならえしただけの啓発キャンペーンは、各自治体およびNGOの怠慢でしかない。それぞれの地域の実情に沿った啓発でなければ、効果 がないからである。

 また、都道府県別の累計から薬害エイズ被害が除かれていることも、医療体制(二次予防)を整える意味で、大きなネックとなっている。各都道府県ごとに必要なベッド数すら算定できないからだ。エイズ予防法が廃止され感染症予防法が施行される四月以降、薬害エイズ被害も含めた統一的なサーベイランス(動向調査)が行なわれることが、求められるところである。

 ■とどまる様子を見せない献血の陽性率増加

 次に、献血における陽性率の推移をグラフ化してみた[グラフ4]。これもほぼ一直線の右肩上がりになっている。日本の累積感染者数を反映していると言えるかもしれない。しかし、欧米では、薬害エイズを契機として輸血の安全対策が講じられ、さまざまなキャンペーンも行なわれて、献血における陽性率は低下してきている。欧米だって、累積の感染者数は増加しているにもかかわらず、である。

 考えてみれば、感染告知を受けた本人が献血をすることは考えにくい。すなわち、日本の献血における陽性率の増加は、無自覚な感染者と検査目的での献血の増加を意味していると考えられる。実際、国によっては献血者が罰せられる虚偽申告も、日本では見られるという。

 日本の献血の陽性率はスウェーデンを超え、イギリスなどとほぼ同等のレベルに達している。しかも、その増加がとどまる様子を見せていないのだ。感染予防を考えた場合、血液の安全性確保の問題は、いまも大きな地位 を占めていなければならないはずである。

 にもかかわらず、啓発キャンペーンで血液の問題に触れることはほとんどない。献血キャンペーンでも、「献血にご協力を」という主張はあっても、「検査目的での献血はやめてください」という主張は、ほとんど耳にすることはない(献血の現場では、やっていると言うが)。献血を集めることも大事だが、安全性確保はもっと大事なはずだ。限りなく売血に近い「検査目的での献血」を排除するキャンペーンをもっと大々的に行なう必要があるのではないだろうか。

 ■「発症」診断をする医学的意味は存在しない

 「HIV感染とエイズとは違う」というキャンペーンがエイズ患者差別ではないかと、ニュースレター二四号での「人権とは何だろう?」で指摘しておいた。少しばかり反響があったので、今回は医学的にも説明しておきたいと思う。

 そもそもエイズ(後天性免疫不全症候群)における「症候群(シンドローム)」とは何だろうか。それには、まず病気診断の四つのレベルについて説明しなければならない。第一のレベルは「症候論的診断(もしくは臨床的診断)」、第二レベルは「病理解剖学的診断」、第三レベルは「原因診断」、そして第四レベルが「機能診断(もしくは病態生理学的診断)」であるという。

 「症候論的診断」は、患者の訴える症状と医師がその場で入手できる情報(触診や血圧計などを用いて)で診断されるレベルであるという。具体的には発熱や体重減少、咳などで診断されるレベルを言うのだろう。「病理解剖学的診断」とは、生検や内視鏡、レントゲン写 真などにより病変を可視化して診断するレベルを言う。カリニ肺炎をレントゲン写 真で診断したりする場合が、これに該当するだろう。「原因診断」は、遺伝であったり感染であったりと病気の根本的な原因によって診断するレベルで、HIV抗体検査などがこれに該当すると思われる。「機能診断」とは、病気による機能障害の程度によって診断するレベルであって、CD4値の測定などがこれに該当するかもしれない。

 で、「症候群」とは、その診断レベルが第一レベルのみにとどまり、その組み合わせとして構成されているものを言う。つまり、原因ウイルスが特定されるなど、その診断レベルが第三、第四レベルまで可能なとき、「症候群」とは呼べないことになる。

 エイズという病名がつけられたとき、原因ウイルスは特定されていなかった。ただ、カリニ肺炎やカポジ肉腫などの日和見感染症が、疫学的に共通 の因子によってグループ化できたことから、原因究明のため「症候群」として位置づけられたのだと思う。現在は原因ウイルスも特定されて、当初の「症候群」として診断する医学的役割は終えている。今は、歴史的経緯と原因診断ができない発展途上国の問題や保険の支払いなどの政治的要請から「症候群」という概念が残っているに過ぎない。少なくともエイズという発症診断をする医学的意味は存在しないことは認識しておく必要があるだろう。

 感染告知をする際に、患者に少しでも動揺を与えないようにと「HIV感染とエイズとは違う」という説明をする場合があるという。テレビドラマ『神様、もう少しだけ』でも、そんなシーンがあった。しかし、これはインフォームド・コンセントとして適切ではない。危険情報も含めて正確な情報を伝達するのがインフォームド・コンセントで、不正確な情報で患者に安心感を与えることではないからだ。もし感染告知をする相手が発症基準に合致していたら「HIV感染とエイズとは違って、あなたの場合はエイズよ」とでも言うのだろうか。

 ■古い啓発を捨て去り、新しい啓発を始めよう

 エイズが男性同性愛者の病気であるかのような誤解が蔓延していた八〇年代、異性愛の性的接触を強調することは適切であると考えられた。エイズのグロテスクな映像ばかりが放送され、実態以上に人々に恐怖感を与えていた時期には、無症候期をアピールし、HIV感染とエイズとを区分けするレトリックも有効であっただろう。

 しかし、エイズの登場から二十年近くが経過した。そのような先入観を持たない人に対しても、昔のレトリックを是とする人々が、わざわざ差別 ・偏見を植えつけているように私には思えるのだ。エイズ啓発キャンペーンに予防効果 がないだけでなく、膨大な時間とお金をかけて差別偏見を助長しているだけではないかと。

 時代は刻々と変わっている。今までの古い啓発を捨て去り、新しい啓発を始めなければならない。いつまでも古い概念にとらわれている人には、退場してもらうべきだろう。

[草田央]
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