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薬害エイズ 東京HIV訴訟結審

草田央 

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 3月27日、薬害エイズの責任を追求する「東京HIV訴訟」が結審した。
 この日、裁判の前に行われた厚生省抗議行動では、100人ほどの人たちが集まり、ビラ撒きが行なわれた。そのほとんどは圧倒的に若い人たちで、先頃発売された『龍平の未来』の影響かとも思われる。つい2月までの抗議行動では、原告も含めて20人ほどしか集まらなかったことを考えると、(一時的にしろ)結審の反響の大きさが伺われる。厚生省前では、大勢の報道陣に取り囲まれながら、愛する我が子を殺された原告の池田さんらの悲痛な声も合同庁舎に響き渡った。
 裁判は、原告の人たちが全国から集まった影響もあり、一般傍聴は14席しかない状況となってしまった。そこへ、引率された学生らを含む300名ほどが列を作り、東京HIV訴訟では初の傍聴券の抽選が行なわれたのだった。100名弱の傍聴席を埋めるのに四苦八苦していた、この5年間を考えると、なにがしかの“バブル”な印象も拭えない。法廷では、弁護団による最終意見陳述に続き、3人の原告も迫力ある最終意見陳述を行なったという。涙なくしては聞けなかったという、この陳述も、被告代理人の中には居眠りしている者もあったという‥‥。
 夕方からは結審記念集会が行なわれ、櫻井よしこさんは涙ながらに、小林よしのり氏は怒りを込めてスピーチを行なった。圧巻だったのは、殺された池田さんの「幸ちゃん」の生前のスライドをバックに、お父さんの今朝仁さんの朗読。会場からもすすり泣きが聞こえる中で、池田さんが絶句してしまう一幕もあった。ともかく、騒然と感動の中で、結審の日は終わった。

 たしかに、この日の結審は、早期全面解決のために勝ち取らなければないないポイントであった。しかし、それは立証の終わりしか意味せず、一つの通過点にすぎない。これで漫然と判決を待てば勝てるというものでは毛頭なく、最後の正念場に差し掛かったといっても過言ではないだろう。
 この薬害エイズ事件の解決なくして、日本のエイズ対策は一歩も前に進めない。そして、被害者が生きているうちに解決する最後の機会であるとも言えるのだ。

 松本で、東京の地下鉄でサリンが撒かれ、国民の多くが怒りにかられたが、この薬害エイズも同じだと言える。加害者たちは、エイズの原因物質(HIV)に汚染されていると知りながら、それをばらまき、投与させていったのだ。ついにフランスでは、毒物投与罪で告発されるに至ったのである。帝京大学副学長の安部英が殺人未遂で告発されているが、あれなどは患者にHIVを感染させる“人体実験”を行なっていたということに対してのものである。薬害エイズの被害者たちは、サリンの被害者と同様の“怒り”を感じているのである。
 原告の川田龍平君は、民事訴訟ではなく刑事訴訟でやりたいと言った。そのとおり、本来この事件は(フランスのように)刑事事件として犯罪者たちが摘発されるべきものである。しかし、加害者に国(厚生省)が荷担していることが刑事事件となることを妨げている。民事においても、国を負かすことは非常に難しい。国は、一片の資料すら公開することなく、加害企業の擁護をするのみで、原因調査など行なってはいない。東大閥に守られている安部英は、告発が検察に受理されていても、捜査らしい捜査を受けた様子はなく、学会に隠然たる影響力を保持し続けている。

 薬害の被害者からは「僕は何もしていないのに」という言葉がよく聞かれる。これを他の感染経路の“自業自得論”と結び付けるのは間違いだ。薬害の被害者たちの叫びは、「僕は厚生省にも製薬企業にも、ましてや血友病の専門医にも何の悪いことをしていないのに、なんで彼らは僕をこんなひどい目にあわせるのか!?」と言っているのである。
 加害者たちは、なにゆえ患者たちに汚染物質を投与し続けたのであろうか? これは、製薬企業の利益擁護であったことが明らかとなっている。もし、あなたが、金儲けのためにHIVに感染させられたとしたら、加害者たちを許すことができるだろうか?

 薬害エイズは、他の感染経路の感染者にも多大な影響を及ぼしている。
 エイズ予防法は、感染者の権利を規定せず義務のみを課した管理目的の法律であるが、これが制定されたのは感染者の9割がたが薬害の被害者である時期である。法案の必要性を説いた厚生省は、血友病患者がターゲットであることを明言している。薬害の被害者の口封じが目的の立法によって、エイズの差別・偏見を固定化し、その後のエイズ対策を感染予防に特化させたのである。
 未だに満足な医療体制も整わないことも、薬害の被害者たちが死に絶えるのを待つ以外のなにものでもない。他の感染経路の人たちは、いわば薬害のとばっちりを受けて、満足な医療すら受けられないでいるとも言える。福祉体制についても同様だ
。  そもそも、これだけの被害を自ら起こしておきながら「責任は全くない」という厚生省をあなたは信頼することができるのだろうか? 薬害の被害者たちの真摯な訴えをたらい回しにし、「裁判でもなんでも起こしてみろ」といった厚生省官僚たちが、感染者はもちろんのこと、国民一人ひとりの立場に立った施策を行なってくれると期待することができるのか? 人体実験を行ない、手術忌避を行なった帝京大学などに、あなたは安心してかかることができるのだろうか? 被告製薬企業は、エイズをも利益獲得のチャンスとして新たな薬を開発しているが、そんな薬を本当に信頼できるのか?
 「エイズには治療法がないのだから、感染予防こそが重要」といったストップ・エイズ・キャンペーン。「彼らに死に場所を与えてやらなければならない」として、キュア(治療)よりもケアを叫ぶ。真相も知らされず、怒りにふるえる薬害の被害者たちの口封じのための、加害医師によるカウンセリング・キャンペーン。こういった、被告・厚生省の陰謀に、あなたは騙されてきてはいないだろうか?

 薬害エイズの解決なくして、日本のエイズ対策は一歩も進展しない。このことは断言できる。そして、薬害の被害者たちが死滅してしまったら、解決することは永遠に不可能になってしまうのである。
 今、まさに感染被害から10年以上が経過し、文字どおりバタバタと亡くなっている。殺されていく者たちの恨みが、日々こだましている。この結審のチャンスを活かせなければ、歴史的汚点を残すことになるのは必至である。
 ゲイの活動家であったラリー・クレイマーは「エイズは人災だ」と断じる。「何の対策も講じず、何の抗議もせずに病に倒れていくのは、まるで何の抵抗もせずガス室にひかれていったユダヤ人の歴史の繰り返しだ」と彼は主張するのだ。
 「ゲイの病気だ」として何の対策もとらなかったレーガン政権等の状況は、薬害の責任回避のために何の対策もとろうとしない日本の状況に符合する。いま日本は、とりかえしのつかない事態に入り込もうとしている。


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