知ってる? じゃ、どんなことする人? 医者の手伝いをする人? やさしく患者さんの背中をさすってくれる人? それだけ?
初めて会った人に自分が看護婦であることを伝えると、大体、その反応は2つのパターンに別れる。「えー、看護婦? えらいねー。大変でしょう?」というのと、「お給料、いいでしょう? これで医者なんかと結婚したらもう、こわいものなしだね」っていうやつ。私は、どっちもキライ。「そうですねー」ってひくひく笑いながら、心の中ではムッとしている。
大体、看護婦がどんな仕事をしているか知っているわけ〜? どんな思いでいるか、知ってんの?な〜んて、初めからケンカごしになってしまったけど、ゴメンなさい。
これは、ムリのないことだと思う。だって、病院の中、ましてや、看護婦の世界なんてホントにクローズな世界だもんね。私も自分が看護婦になる前は、看護婦さんなんて自分とは違う「異星人」のように感じてた。いつもニコニコしてナースコールを押せばいつでもどこでも飛んできてくれる。あの人たちは自分とは違う「奉仕の精神」にあふれた人たちなんだ、と。
でも、自分が看護婦になってみたら、実はそんなの作られたイメージにすぎないことがわかった。だって、人間が天使になれるわけがないじゃない。
私たちだって、苦手な患者さんはいるし、夜中の頻回のナースコールにムッとする瞬間だってある。それに、看護婦の中にはコワ〜イ人もいる(?)。きっと患者さんだってそんなことわかっているはず。それなのに、どうして看護婦イコール白衣の天使になっちゃうのか?
それは、病院という閉鎖された社会の中に、多くのものを押し付け、そこから目を逸らそうとしている現在の社会の在り方にポイントがありそうな気がする。看護婦さんはスゴイと思い込んでしまうことで病院を遠くに遠くに押やっている。あんなスゴイ人達がいるんだもんね、だいじょ〜ぶ、って。
だけど、今、病院では病んだ人、助けを求めてる人で一杯だ。看護婦も、クリーンなイメージを一手に引き受けて窒息しそうだ。
誰でも、老い、病む時が来る可能性があることは否定できない。全部、自分自信の問題だ。健康なときに自分を自分として感じて生きていられるように、病んだとき、老いたときにも最大限自分らしさを発揮しつつ、安心して居られる場所がいつも存在しているようにするには一体どうしたらいいんだろうか?
まず、医療と看護の現場で起こっていることを見据えることから始めたい。なんか、とっかかりになる鍵はおちてないかな〜、とさがしつつ…