「HIVとピアカウンセリング」
[カリフォルニア大学エイズ予防研究センター鬼塚直樹]
HIVはこれまでもとても複雑な諸相を呈し続けてきました。それに加えて慢性疾患としての性格を強くしていく中で、以前に比べてとても時間軸が長くなってきています。以前は「視界の中」にあった「死」が随分と遠ざかってしまい、「視界の外」にそれを感じている人達も多くなってきているのではないでしょうか。
しかし、それだからといってHIVの疾患としての重大さが軽減したということではないのです。HIVは今までと同じように大変な病気であり、その管理をしていくことはなみたいてのことではありません。逆に時間軸が長くなったということから引き起こされてくる問題は、既存の問題に加えてHIV・コミュニティーにとっておおきな重圧となってきています。
ここで僕は「HIV・コミュニティー」という言葉を使いましたが、これはHIVに感染している人、エイズを発症している人、そしてその周りに居る大勢の人達を指すものとして、これからも頻繁に使っていきたいと思っています。ようするに感染非感染を問わずに、HIVによって動かされ、そのケアの渦の中に引き込まれてしまった人達がたくさんいて、そのひとたちを、「HIV・コミュニティー」と呼ぼうとするわけです。そしてそこには、地理的あるいは社会構造的にはかけ離れている場合があるかもしれませんが、力強い「共通項」が存在しているはずです。
この「共通項」を「相互認識」することにより、「ピアという場」をそこに作りうるのです。そこには複雑な問題を多く抱える「HIV・コミュニティー」の中で素晴らしい実効性を発揮しうる「ピアカウセリング」の下地が充分にでき上がっているはずです。
「気のおけない仲間同士で」
[PHA(HIV感染者・患者) 岡部翔太]
先日、感染者がいたほうがリアリティがあるという鬼塚さんのご指名で、セミナーに参加させていただきました。
ピアカウンセリングは無限の可能性を秘めているカウンセリングの手法だと思います。第一に専門家でなくともスキルさえ学べば活用できること。第二に「ピアになれない相手はいない、どんな人ともピアになれるはずだ」(高村氏)という点です。
カウンセリングを受けるというのは、どうも日本人には馴染みがなく、受けたいと思っていても、『精神科』とか『カウンセラー』などという言葉に拒否反応を示しがちだし、まして端から見て精神的にまいっている人に勧めるなどもってのほかという環境ではないだろうか。しかし、以上のことをふまえると、スキルを学んだ者同士なら、パートナー、友人、家族など気のおけない仲間同士でいつでも行うことができるのです。HIVに限ったことではありませんが、長期的に心を平常に保つのが難しいものや、ちょっと困った時など、様々な状況に有効なのではなかと思います。
咀嚼セミナーということもあってか、わりと専門性ある内容でしたが、今後日本で広めようとするならコミュニティや受ける人の立場によりプログラムを変える必要があるのでは、と思いました。岡部には少し理解できないディスカッションなどもありました。まぁ、これは僕が勉強不足だったからですが…。
いくら専門家でなくともできるといっても、間違った知識で行うことはとても危険を伴います。僕もグループワークのときに、クライアント役の人の感情に引っ張られ、抜け出せなくなってしまい、気分が重くなってしまう事もありました。しかし全般的に、自分自身の考えの方向性が見えたり、解放されていく自分がいたりと最後にはとてもいい気分になっていて、とても楽しい時間を過ごせました。
早く、このスキルを学べるワークショップが日本でも頻繁に行われるようになれば良いと願います。