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感染を知らない自由の尊重が必要だ

草田央 

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 日本のエイズをめぐる状況は、医療にしろ福祉にしろ、最悪期を脱したと言える。それゆえ問題の所在が、ケースバイケース、個々人の抱える様々な問題に対処するという分散傾向にある。これはすなわち、マスキャンペーンなどが通じない、素人がうかつに手出しできない状況へと進んできたことを意味する。
 それに抵抗するかのように、再び検査キャンペーンが盛んになってきたような気がする。「HIV抗体検査を受けましょう」という誰もが信じて疑うことのない“絶対正義”のキャッチフレーズさえ唱えていれば、かかわりたくない個々の微妙な問題を無視して、エイズを論じることができるからだ。しかし、これは再び危険な兆候だと危惧している。

 ■「感染者のため」という錦の御旗

 たしかにHIV抗体検査法は、きわめて優れた検査である。感度や特異性が高く、偽陰性や偽陽性が少ないからだ。医療体制が整い、抗HIV療法の有効性も確立してきた現在、早期発見による早期治療は、確実に延命につながると言えるだろう。
 かつて医療体制や福祉制度を整えないままに、いわば感染者を社会から追放するためだけの検査キャンペーンとは状況が異なってきたわけだ。それゆえ「感染者のため」という錦の御旗が掲げられるのが最近の傾向だが、その本音は社会防衛に根ざした検査至上主義を復活させつつあると言ったら言い過ぎだろうか。

 ■健康診断が悪い生活習慣の維持につながる

 ガン検診に代表されるように、かつて早期発見・早期治療が叫ばれ、健康診断や人間ドックなどがもてはやされた。しかし近年、その有効性に大いに疑問が呈せられているのが事実だ。
 例えば肺ガン検診。レントゲン撮影では肺ガンの早期発見につながらない(レントゲンには写りにくいため)という事実が一つ。被曝させることによって、かえってガンを誘発させているのではないかという危惧が二つ目である。それに加え、本来、健康診断を一つのきっかけにして、生活習慣を変えてもらおうというのが目的であったはずであったが、健康診断が悪い生活習慣の維持継続につながっていることが明らかになってきたことが大きい。
 健康診断の結果は「たまたま悪いところが見つからなかった」という意味以上のものではない。にもかかわらず「喫煙や暴飲暴食など悪しき習慣を止め、バランスのとれた食生活や適度な運動を心がけましょう」というメッセージが伝わらず、あたかも健康のお墨付きを与えられたかのような錯覚に陥いらせてしまっているのだ。
 年に一回の健康診断が、あたかも健康維持のための手段になり、「検査を受けたから大丈夫」などという悪しき生活習慣維持への妙な自信を与える結果にってしまうというわけだ。

 ■検査を真に感染予防につなげるには…

 HIV抗体検査についても同じことが言える。風俗店に見られるように、定期的に検査を行なっていることを前面に出して、コンドームなしの過激なサービスを売りにしていては、本末転倒であることは明らかだろう。HIVの蔓延防止に有効なのはセーファーセックスであり、検査それ自体に感染予防効果はないのである。
 しかも優れた検査法とされるHIV抗体検査にしても、当然万能ではない。
 ご存知のようにウインドゥ・ピリオド(検出不可能期間)があるからだ。ソープの帰りに必ず献血に寄り、今日の安全の確認をして、またソープに行く…なんて人がいるようだが、これなど全くナンセンスな行為であることは言うまでもない。
 検査を真に感染予防につなげるには、検査前と検査後のカウンセリングを徹底して行ない、セーファーセックス等の実践という生活習慣の変更を迫るものでなければならない。
 逆に言えば、その場で検査を受けるか受けないかはさして重要ではない。むしろ、検査を受ける必要のない「エイズ・ノイローゼ」のような人たちには、積極的に「あなたは検査を受けるべきではない」とのメッセージを伝えなければならないだろう。
 ところが、日本のエイズ対策は永らく、電話相談等に見られるように、本来エイズとは無関係のエイズ・ノイローゼの人たちに「何でもいいから検査を受けなさい」と言い続けてきた『素人以下』の活動であった。さすがに21世紀になって、まともな検査キャンペーンも散見されるようになってきたが、やはり慎重にことを運ばなければ、悪夢を再現させる結果となろう。

 ■不当解雇訴訟で争われた無断検査の是非

 平成7年3月30日東京地裁判決のHIV感染者不当解雇訴訟でも、無断検査の是非が争われた。被告は裁判で、一貫して「原告のための検査」であったことを主張していた。
 原告は現在も生きている。会社による強制帰国やその後の抗HIV療法によって、延命できているのは紛れもない事実だろう。もし会社の無断検査がなければ、今ごろ勤務先の東南アジアのどこかで亡くなってしまっていたかもしれない。
 しかし、それでも彼は無断検査を非難する。それにより彼の人生が大きく変わってしまったからだ。「太く短い人生のほうが良かったかもしれない」と彼は今でも言う。充実した生活を送っていた昨日までの自分が、HIV抗体検査によって解雇され、副作用に苦しみながら細々と生きている生活になってしまったからだ。
 もちろん彼が生きつづけている意味は、周りの人間にとっても社会にとっても彼自身にとっても大きな意義がある。しかしそれは彼が自主的に選択した結果ではないのだ。
 「検査は本人の自発的意思によって行なわれなければならない」との大原則をもう一度、想起しなければならない。無断検査は論外としても、検査の強制や誘導も禁じられている、と考えなければならない。

 ■警視庁のHIV感染者解雇は本人のため?

 平成12年6月15日には警視庁を解雇されたとして訴えが起こされた。この裁判でも無断検査が問題となっている。被告東京都は労働省の高齢・障害者対策部が平成10年に行なった「HIV感染者に係る雇用問題に関する研究会」報告を根拠に、HIV感染者の健康管理として(一)ストレスを避けること(二)定期的な通院時間の確保(三)服薬が可能な勤務形態(四)急な入院に対応可能な業務調整(五)体調に合わせて休養ができる弾力的な対応の必要性を挙げている。もちろん労働省の報告書は、感染者のための企業の努力目標として作成されたと思われる。
 しかし、それを達成できないからと解雇事由に利用されてしまったわけだ。つまり「あなたのために無断検査をし、あなたのために解雇したのですよ」と言わんばかりである。(被告東京都は、包括的同意が得られていたとして『無断』検査を認めていないし、本人の希望であって解雇ではないと争っている)。
 現在「HIV抗体検査を受けましょう」と早期発見・早期自覚を呼びかけている人は、こうした様々な解雇事件での(あなたのための)無断検査を、果たして是とするのだろうか?

 ■強制告知が許される道理はあるのだろうか

 日本赤十字社が献血で発見したHIV感染者に(たとえ本人が告知を希望しなくても)告知していることは、今や公然の秘密である。日赤は、これを「人道的措置」だと正当化して抗弁している。
 昔、献血をきっかけに日赤に呼び出され、HIV感染告知を受けた人の話を聞いたことがある。「何で献血なんかしたんだ」と恫喝され、「もう二度と献血するな」というものだったという。ただただ一方的なもので、カウンセリングなども皆無だったらしい。さすがに今は日赤も、それなりのフォローはしていると思う。カウンセリング体制も整えているだろう。しかし告知を続ける日赤の本音は、何も変わっていないと思う。
 既に抗体陽性になっている献血者を、かたくなに排除しようとするのはなぜだろうか。一つは、コスト増が考えられる。日赤では献血された血液の一部を多人数分プールして、検査の一括処理を行なっている。このプールが陽性となって初めて、陽性血を特定するための細分化した検査が『追加的に』行なわれるシステムになっているようだ。いったん陽性と判断されればデータベースに登録され最初から破棄されるようになるのかもしれないが、採血や破棄のための費用がかさむことは事実であろう。もう一つは、緊急輸血など、陽性血が検査をすり抜けて輸血されてしまう危険性だ。もしそのような感染事例が生じた場合、PL法(製造物責任法)の対象として、日赤に多額の損害賠償請求がなされる可能性がある。
 いずれも日赤の保身がその理由と考えられ、決して人道的措置などではないと私は思うのだ。輸血を受ける患者の安全性のために無断でHIV検査をするのは当然だとしても、献血者に対する強制告知が許される道理があろうはずがない。

 ■自分の感染を知らない自由の尊重

 平成7年に労働省が作成した「職場におけるエイズ問題に関するガイドライン」では、「事業者は労働者に対してHIV検査を行わないこと」と明言されている。同年の前述解雇事件の判決文でも、「HIV感染者にHIVに感染していることを告知するに相応しいのは、その者の治療に携わった医療者に限られるべき」としている。早期発見・早期治療よりも感染者のプライバシー保護が重視されるべきだと言えよう。そしてこのことは、医療や福祉体制が進んでも、いや進めば進むほど、むしろ多様な価値観が容認されるべきだということだ。
 つまり、何も早期発見・早期治療が必ず本人のためになるとは言えないという事実だ。自分の感染を知らない自由も、その結果としてエイズで死んでしまう自由も尊重されなければならない。そして、そうした多様な価値観を認めず「HIV抗体検査を受けましょう」などという価値観の押し付けは、決して「感染者のため」などというものではなく、必然的に社会防衛的色彩を帯びるということを自覚しなければならない。何も一概に社会防衛論がいけないとは私は考えないが、そこに「感染者のため」などというとってつけた理由を掲げることは大いなる矛盾であるし、欺瞞であり偽善でしか過ぎない。

 ■検査を受けたいと思うときに受けられる環境

 必要なのは、検査を受けるべき人が受けたいと思うときに受けられる体制整備である。決して検査を受けるべきでもない人や必ずしも検査を受けたいと考えているわけでもない人に検査を勧めたりすることではない。
 その意味で、HIV検査法・検査体制研究班が作成した「HIV検査・相談マップ」(http://www.hivkensa.com/)は、未だ首都圏のみの情報であり(注:2001年10月現在)、あまりにも遅きに失したとはいえ、その第一歩として評価できるだろう。

[草田 央]
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