2003年5月23日、厚生労働省は台湾人医師にかかるSARS(Severe Acute Respiratory Syndrome=重症急性呼吸器症候群)に関して“安全宣言”を出した。おそらく、これから日本でのSARS流行が本格化するであろう段階での“安全宣言”は、狂牛病(BSE)が続発する直前に抜本的対策もないまま牛肉をほおばる政治パフォーマンスを演じた、あの“安全宣言”をほうふつさせる。
まだ続行中の「SARSパニック」と呼べる事態は、エイズが登場した1980年代の状況に酷似している。そして、それは我が国の感染症対策の後進性をあらわすとともに、エイズから何も学んでいないことを示していると言えよう。
■「結果的に重症にならなければ、SARSとは言えない」
四月十六日、世界保健機関(WHO)は、SARSの原因を新型のコロナウイルスと確認、「SARSウイルス」と命名したと発表した。それとほぼ同時に、各国で開発された原因ウイルスの検査キットが国内外の検査機関に提供された。患者の唾液や痰などから採取したウイルスの遺伝子を増幅し(PCR法)、二時間から最短四五分でウイルスの有無を検出できるというものだ。エイズ(後天性免疫不全症候群)と同様に、当初「症候群」として症状のみからしか診断できなかったSARSは、この段階から「SARSウイルス感染症」として位置付けられなければならないはずである。エイズが現在「HIV感染症」と位置付けられているのと同じ話だ。
ところが、厚生労働省や厚労省の対策専門委員会は「SARSの最初の“S”は重症(シビア)」であり「結果的に重症にならなければ、SARSとは言えない」との態度を崩していない(四月二四日付け日本経済新聞)。WHOが五月一日、ウイルス検査で陽性反応が出た者を可能性例とする診断基準を発表したことで、日本でも八日に診断基準を変更している。しかし、欧米では可能性例の発生は患者発生とほぼ同義だが、既に四月末現在で十数人の可能性例を出している日本では、いまだに「国内患者ゼロ」を吹聴している。たとえウイルス検査で陽性となっても、それはあくまで可能性例に過ぎず、対策専門委員会が否定すれば「国内患者ゼロ」が維持されることを意味する。
五月八日、政府の副大臣会議では、木村義雄厚生労働副大臣が「水際での対応が成功している」と説明し、出席者から「日本の衛生水準の高さを対日投資の魅力に加えるべきだ」などの声が上がったという。患者発生発表を抑制する政治的・経済的圧力は、相変わらず強そうである。
エイズ原因ウイルスの抗体検査が可能になったのは、一九八四年半ばである。その年の十一月に開かれた会議で、日本にも多数の抗体陽性者がいることが報告された。が、後に発覚した厚生省の内部資料によると、「抗体陽性とAIDS発症とは異なる」として「マスコミには発表しない」との方針が確認された。実際、多数の感染者がいることが発表されるには、一九八五年三月の一号患者発表まで待たなければならなかった。
■WHOが懸念しているのは「偽陰性」。厚労省が問題にしているのは「偽陽性」
厚労省がウイルス検査の本格導入に否定的な理由として、検査精度が挙げられている。厚労省が根拠とするのは、WHOの「信頼性に懸念があり、キットでウイルスが検出されなかった人でもウイルスを保有しているかもしれない」とする四月十八日付けの発表である。
できたばかりの検査キットは、その信頼性が確立されているとは言えない。しかし、WHOが懸念しているのは、偽陰性(実際は感染しているのに陰性と判定されてしまう)の問題であり、厚労省が問題にしているのは偽陽性(実際は感染していないのに陽性と判定されてしまう)の問題。その懸念の方向性は全く逆だ。
WHOは、実際は感染しているにもかかわらず、症状が軽いなどの理由で報告から除外されている可能性を指摘して、中国の公表数値に疑問を投げかけている。つまり、WHOはウイルス検査を推進する立場で、しかもそのウイルス検査を過信するのではなく、もっと幅広く症例を集めるべきだと主張しているように読める。
■原因の究明よりもパニックの抑制など体制維持を重視する封建的な国々
未知の感染症が発生した場合、幅広い意味での原因の究明が最優先されなければならない。原因が判明することによって、それが対策や治療に活かせるからだ。それゆえ、まず可能な限りの症例集めが重要になってくる。そこから、原因ウイルスの特定や感染経路、治療法の可能性などを探っていくわけだ。もちろん、未知(新興)の感染症だから、診断基準は必ずしも明確ではない。当該感染症とは異なる症例も混じってくるかもしれない。しかし、とりあえず大網ですくうように症例を集め、そこから慎重に吟味して原因を探り、対策を立てていくというのが欧米のやり方のようだ。公的機関は症例を集計発表し、原因を調査究明するのが主な仕事である。
一方、原因の究明よりもパニックの抑制など体制維持を重視する封建的な国々もある。そのような国では、中央集権的な判定委員会が設けられ、報告された症例を吟味し、お墨付きを与えるのが仕事である。実質的に、民間からの自由な症例発表は許されていないとも言えるかもしれない。
エイズが登場した当時、日本でも様々な「擬似症例」が報告された。しかしそれらは、ほとんどエイズなど診たこともない“専門家”たちによって全て否定されていった。その否定されていった症例には、後にウイルス検査が可能になって「陰性」として、文字通り「エイズではなかった」とされた症例もあった。けれども「陽性」として、後に「エイズ」として認定される症例が否定されていったのも事実である。
アメリカでも、後の研究でエイズとされていた症例の中に「陰性」であった者が含まれていたことが判明している。しかし、それは行政上の誤りとはされていない。もっとも、来日したアメリカの専門家が「間違いなくエイズだ」と断定した症例まで否定した日本においても、それは現在に至っても行政上(専門家)の誤りとはされていないのが現実である。
検査の信頼性が確立したBSEにおいても、さすがに牛のことなので、検査で陽性が出れば、そのまま報道されているようである。しかし、陽性結果を受けた専門家委員会が最終決断をくだす仕組みは残されている。制度上、科学的な検査結果を人為的(政治的)に否定することが可能なのが、日本の体制なのだ。
■思い出される日本のエイズ一号認定
五月十六日、厚労省は日本を観光したのち台湾に戻った台湾人医師がSARSの疑いで入院したとして、日本での追跡調査を行なうと発表した。しかしながら、日本での「原因となるウイルスの飛散量は少ないとみられる」として、日本での二次感染の可能性は少ないとされた。
ここで思い出されるのが、日本のエイズ一号認定である。一九八五年三月、エイズ調査検討委員会は、一時的に日本に滞在していた在米の日本人をエイズ患者と認定した。しかしながらこちらも、既にアメリカに帰国していることから「二次感染の恐れなし」とされたのだった。
前述のように、この一号認定と同時に、多数の血友病患者が感染している事実も公表された。が、同時に加熱製剤承認の見通しも語られ、対策済みが演出されたのだった。
五月四日、日本経済新聞は「SARS、入院可能二五〇病院、四七都道府県で整う」との見出しで「施設面の備えにほぼメドがついた」と報じた。今回の台湾人医師騒動のタイミングは、まさに遅まきながらSARS対策が整った段階の直後に起こったことになる。
■差別偏見を押し付けられても、文句の言えない立場
日本のエイズ一号患者は、血友病患者でも、異性愛者でもなく、男性同性愛者だった。以後、エイズは日本でも男性同性愛者の病気(マイノリティの病気)として強く印象付けられることになった。
今回は、最流行地域の中国ではなく、台湾だった。坂口厚生労働相は「SARSの患者さんがいる病院に勤める医師が日をおかずに旅行に出たこと自体、医療倫理に反する。リスク管理が徹底していないといわざるを得ない」「今後こういうことが二度とないよう、台湾当局に申し入れたい」と台湾を強く非難した。
おそらく、出国制限を課している国はないのではないか。非難自体が的外れだが、この医師が中国人だったとして、中国に対しても強硬に抗議することができたかどうか疑問である。台湾とは日本との関係が深く、しかも国交がない。WHOにも加盟できていない国である。差別偏見を押し付けられても、文句の言えない立場だったことは確かのようだ。
■鎖国でもしない限り、有効な「水際作戦」などとれるわけがない
五月十八日、厚生労働省は「二次感染の恐れはほぼない」としていながら、一転して「接触の可能性があり、体調に異常があった人は保健所などに連絡を」と呼びかけるため、台湾人医師が滞在した宿泊先や立ち寄った場所など詳細な足取りを公表した。これは、神戸エイズ・パニックを想起させる。
神戸エイズ・パニックとは、一九八七年一月に「日本人初の女性エイズ患者」の発表とともに起こったパニックのことである。「多数の日本人男性相手に売春していた」として、「身に覚えがある人は、必ず血液検査を受け、医療機関や保健所の指導を受けて欲しい」と呼びかけられた(ちなみに、後に女性の遺族が起こした裁判で、売春の事実は否定されている)。
私には、どちらも関西を舞台とした、公開による追跡調査の実験のように感じられる。なぜ首都圏ではなく関西なのか? もし首都圏だったら、追跡調査など不可能だろう。そもそも、患者のプライバシーを公にした追跡調査など、感染症対策としてナンセンスである。完璧な追跡調査など不可能だし、必然的に起こるパニックは、その後の感染症対策にとって大きなマイナスにしかならないからだ。
このような感染症対策に必要なのは、あたかも犯罪者をあぶり出すかのような公開捜査ではなく、たとえ治療法が確立していなくても可能な限りの治療を施すという国民へのメッセージだ。「北風と太陽」の例えで言えば、相変わらず日本は、効果がないことが判明している北風政策をとり続けていることになる。厚労省は、治療効果があるのではないかと噂のあったリバビリンと呼ばれる薬剤にしても、副作用を理由に使用しないよう注意喚起している。では、どのような治療を施してくれるのかは聞こえてこない。
完璧な追跡調査を夢見るのは、国内に感染症が侵入しておらず、水際にて阻止できるとの大いなる幻想から来ている。今回も「水際作戦」という言葉が多く聞かれるが、実は、エイズのときもそうだった。しかし、この人や物の行き来が国際的に盛んな現代において、鎖国でもしない限り、有効な「水際作戦」などとれるわけがない。むしろ、海外で発生が認識された時点で、既に国内にも侵入していると考えて対策をとるべきなのだ。
にもかかわらず「水際作戦」をとろうとすると、逆に「国内には侵入していない」という前提を堅持しなければならなくなる。よって、嘘で固めた情報により、国内対策はおざなりに、効果が疑問な「水際作戦」にのみ金と労力をつぎ込んでいく結果になるのだ。
■日本の感染症対策への個人的提言
以上を踏まえ、日本の感染症対策に対して個人的提言を列挙しておく。
一.専門家委員会には、患者認定を行なわせず、疫学的調査・発表を行なうものとする。また、あがってきた報告を中央で審査する対応ではなく、積極的に現場に赴き、原因の追求や対策を指示する専門家チームが必要である。
二.患者・感染者のプライバシーは死守する。地道な疫学調査がなされなければならない。万一、マスコミに情報が流れた場合、その情報の出所を徹底的に調査し、断罪されなければならない。
三.「水際作戦」ではなく、すでに国内侵入を前提とした国内対策を中心に据える。その国内対策には、患者・感染者に対し、可能な限りの治療を施すことも含める。[草田 央]
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