99年度(平成11年度)にLAPは社会福祉・医療事業団(高齢者・障害者福祉基金)の助成を受け、ピアカウンセリング研修事業を行いました。
『性の自己決定能力を育てるピアカウンセリング』(高村寿子編著、松本清一監修、小学館、1999年、2,200円)※鬼塚直樹氏も執筆しています。
高村寿子氏(自治医科大学看護短期大学教授)、鬼塚直樹氏(カリフォルニア大学エイズ予防研究センター:右イラスト)の指導のもと、新しい支援のためのスキルの修得とHIVコミュニティのエンパワメントを目指し、2泊3日の宿泊研修を3回、通いの継続講習を3回実施しました。
研修のファシリテーターを務められた鬼塚直樹氏に全体をふりかえってのまとめをしていただきました。
■ノンジャッジメンタルであるということ
昨年の5月、9月そして12月にピアカウンセリング研修会を開催し、合計で54名の方々が参加された。参加者はすべて、HIVやエイズに深くかかわっている人たち、いわゆる「HIVコミュニティー」のメンバーで、北は北海道から南は沖縄まで全国各地から来ていただいた。31のHIV関連NGO/NPOからの参加があった。
今回、それぞれの研修会でお願いしたアンケートをもとにして、分析的な見地からの記事を書いても良かったのではあるが、この3回の研修のファシリテーションをする中で、僕が観察したり感じたりしたこと、そしてそれらをもとにして考えたことを書いてみたいと思う。その方が、分析や解析をもとにした記事よりも、伸びやかな相互支援的エネルギーを基盤におこうとするピアカウセリングによりそぐっていると思えるからである。
■表情が変化していく
参加者の表情、これはファシリテーターにとって一つの重要なインディケーターである。
はじめは「えーどうしてこんなとこに来てしまったんだろう…」といった、戸惑いがちにあたりの様子をうかがい、自分の居場所を探そうとする目つきがあちこちに見られる。しばらくすると雰囲気がだんだんと和んできて、それに伴って表情も段々と柔らかくなってくる。一日目が終了する頃には、ずいぶんとイイ感じになってくるが、まだなんかしっくりいかないといった固いものが残っている。しかし、二日目の研修のなかでロールプレイをふんだんに含んだ時間が積み重ねられる中、自分が表現でき、またそうしてもいいんだという安心感を、参加者がそれぞれのレベルで感じ始め、それに伴って表情がだんだんと柔らかくなっていく。特に笑顔がよくなる。ファシリテーターにとって「しめたっ」と思える瞬間である。
■ピアの感覚の芽生え
この表情の変化、それはそこにピアの感覚が生まれてくるからであろう。
参加者のほとんどは、HIVコミュニティの中で、それぞれに活動をしている人たちなので、それなりの共通した思いや話題はすでにあったはずである。それが少しずつ開示されシェアされていく中で、仲間意識が生まれてくることはそう困難なことではない。そこには共通項の相互認識が行われていたはずである。しかしそれだけだったのだろうか? 同じウィルスに感染しているというだけで、あるいはそのウィルスによって引き起こされてきた社会の諸相の中で活動をしているというだけで、新しく出会った僕たちは自分たちを仲間と認識しあい、きついスケジュールでおこなわれる二泊三日の合宿研修に参加し、新しいものを学ぼうとするプレッシャーのかかった状況の中で、表情や笑顔を明るくすることができるのだろうか。
■スキルを学ぶ
共通項の相互認識は出発点でありゴールではない。コミュニティという存在は共通項を持っているが、その共通項は、コミュニティの構成員の一人一人の意識上で常に強く認識されているかというとそうではなく、一つの基調として底辺を流れているということだと思う。そのコミュニティの中で何かを起こそうとするとき、その共通項を意識上に引っ張り上げ、そのことを為そうとする人々が、もう一度その確認作業を行う必要があると思う。
1999年9月に京都で行われた第2回研修はacta cafe448、バザールカフェ、日本キリスト教団事務所などの会場を利用し、京都のHIVコミュニティを肌で感じることができた。
「HIVに対する思いがあれば、私たちはすべての違いを越えて連帯でき、その連帯の中で素晴らしい仕事ができるはずだ」という時代はすでに終わっている。いや、はじめから存在していなかったのかもしれない。HIVコミュニティはそれほど単純なものではなく、時間を重ねる中で多様化を進めてきているはずである。
それでは僕たちがHIVという問題に取り組んでいこうとするときに何が必要とされているのだろうか。 多様化を進める状況の中で、複数の人間が何かを作り上げようとする時に必要となるもの、それは共通に認識された使命、ミッションに加えて、スキルであろうと僕は思う。そして、そのスキルを的確に使用していこうとする力であろう。そして僕たちは効果的で整合性のあるスキルを手に入れていかなければならない。
スキルは発見するものではなく、学習するものでもある。誰も生まれつきで自転車には乗れない。練習が必要である。逆に言えば練習して手に入れることのできるものが、スキルなのである。
■スキルとしてのノンジャッジメンタル
話をピアカウンセリングに戻そう。ピアカウンセリングの八つの誓約の第一番目にあげられているもの、それは「批判的にならない、決めつけない〜ノンジャッジメンタル」ということである。
その個人の経験の集積としての価値観は当然のごとく多様化しており、その多様性を尊重しようとするアプローチがまず最初にあげられている。僕たちは日常の中でものごとの善し悪しを決めなければならないことは当然のごとくある。
しかしここでいっているのは、そういった一切合切のジャッジする作業をすべてやめなさいということではない。ピアカウンセリングの空間の中で、あなたが力になりたいと思っている人を目の前にしたとき、まずジャッジすることをやめようということなのである。それも一つのスキルとして。
◆ピアカウンセリングの八つの誓約 1. 批判的にならない、決めつけないーノンジャッジメンタル
2. 共感を示すーコンクリートの壁にならないように
3. 個人的なアドバイスを与えない
4. 詰問調にならない−なぜで始まる質問には気をつける
5. クライアントの抱える問題の責任は取らない
6. 解釈をしない−パラフレーズで十分
7. 現状と現時点に視点を据える 8. まず感情と向き合い、感情について話し合う
■ジャッジされるHIVとジャッジするHIV
HIVにはジャッジが必ずひっついてくる。HIVは恐ろしい病気だというイメージがまずつくられ、その病気への恐怖心の裏返しとしてジャッジするという行為が綿々として続いてきた。
1999年12月に行われた第3回研修会場となった「KKR東京ニュー目黒」(東京都目黒区)
僕たちは怖いものにはレッテルを貼ってどこかにしまっておきたいという心の動きが出る。そうすると安心できるから、というのが理由であろう。それは僕たちが構成している社会が持つ動きでもある。そういった社会の動きへの反応として僕たちは、そういう社会のあり方は間違っているというジャッジをして、そういう社会にHIVに対する無理解や差別偏見というレッテルを貼る。そういう扱いを受けた社会は当然のごとく保身に走り、HIVに張り付けようとするレッテルの数や大きさを増そうとする。そうするとHIVにかかわっている人たちも同じような行動をとろうとし、悪循環へ入っていく。それはどちらが正しいあるいは間違っているという判断(ジャッジ)を抜きにして考えてみても、両者を限りなく疲労させるメカニズムのようだ。
その循環を断ち切ろうとするのが、ノンジャッジメンタルということだと僕は思う。だから僕らが自然と陥りがちになるこの悪循環を断ち切ろうとする作業には、当然のごとく力が必要となってくる。ノンジャッジメンタルという言葉は、一つの状態を表す言葉ではあるが、それは自然発生的な状態ではなく、努力をする事によって手に入れることのできる状態であり、そのような状態へ自分を持っていくとには、力を必要とするのである。
■ノンジャッジメンタルの持つ力
ピアカウンセリングの研修会の中で、まず僕たちはノンジャッジメンタルなアプローチを学習する。そしてそれを実際に言葉として表現していく。「そういう風にネガティブに考えるから…」「でもね、そうは言ってもね…」「それって常識ないよなー」といった言葉が段々と消えていく。
それに替わって、何を言っても「あなたはそれでいいんだ」、とまずは受け止める力がグループの中に生まれてくる。「自分のエンパワメントや決断のプロセスが受け入れられ、支持される環境において、人は最良のサポートを受けることができる」というピアカウンセリングの基本理念が次第に具現化されていくのである。その中にいる人たちの表情が和んでいくのは当然であろう。ジャッジされないということの心地よさがあり、善し悪しを決めつけられないことへの安心感がある。ピアカウンセリングを提供しようとする個人が自分の力を発揮してノンジャッジメンタルなアプローチのスキルを手に入れる。それが今度はそのサポートを必要としている人の表情を和らげていくのである。
眉間にしわを寄せている人よりも、和やかな表情をしている人は、支援を効果的に受けることができるであろう。それがノンジャッジメンタルの持つ力、言い換えればノンジャッジメンタルという一つのスキルに支えられたピアカウセリングの力なのである。
■共感力
もう一つピアカウンセリングに大切なもの、それは共感する力だと僕は思っている。共感とは相手の立場に立って問題を見解することと、その見解に基づいて支援を提供しようとすることである。
もう少し詳しく言えば、自分が力になりたいと思っている人が目の前にいるとする、その時その人の世界の中でその人がどう自分の世界を見ているのか、そしてその中でどのように痛みを感じているのかを、その人の基準でその人と同じ目の高さから理解しようとする心の動きをもつこと、それが共感するということであると思う。そして同時に僕たちはその人の痛みを感じていない自分をはっきりと把握することが必要となる。その痛みへの共感はあるが、その痛みを僕たちは共有はしない。僕たちはその人と一緒になって痛がったりはしない。だからこそ僕たちは支援を提供できるのである。そして共感する者は、自分が寄せた共感によって、相手のエンパワメントが為されることを静かに期待する。それ以上はおこなわないように自分を律する。なぜなら共感の上に立てば何をしてもいいんだという傲慢さがアドバイス・ギビングという形で現れがちになり、そうすることはこれまでの経過を全部ゴワサンにしてしまうからである。
ピアカウンセリングの誓約の中に、個人的なアドバイスを与えないこととあるが、こう考えていくと整合性を持った当然のことと言えるのである。
■共感力を強くする
僕たちは生まれつきの共感力を持っている。そして効果的なピアカウンセラーとなるためには、その共感力をより豊かに育てていくことが大切であろう。これはピアカウンセリングの研修会の中で、実はファシリテーターとして直接的ではないにしても目指そうとすることである。自分の感情に目を向け、そこに何があるのかを感じ取ること。これはピアカウンセリングを通して達成されるものの中で、僕にとってはとても大切なことである。それはそう簡単ではないが、それが達成された時、いわば感情の語彙力とでも言えるものが増していく実感を持つことができる。
ピアカウンセリングの空間の中で、スキルを駆使することによって、相手の感情の表出を助けていく。そしてその感情に共感すべくしっかりと耳を傾ける。そうするとその感情をより深く理解することができるようになり、自分の感情世界への関わりが豊かになる。その結果として共感力が強くなるのである。そう考えると、ピアカウンセリング自体がピアカウンセリングに不可欠である共感力を増すためのメカニズムをもうすでに内包していると言える。そしてそこに一つの視点を据えて、ピアカウンセリング、あるいはコ・カウンセリング(参加者がお互いにカウンセリングしあう)演習をおこなっていくという作業によって、共感するスキルを磨くことができるのではないだろうか。これはいわば感性の世界の出来事であり、なかなか言葉になりにくいものではあるが、研修会の中で確実に達成されていったことのように思える。だからこそ笑顔があれだけ明るくなっていったのだろう。
■ノンジャッジメンタルと共感
条件付きの共感というのはあり得ない。共感はノンジャッジメンタルに支えられていなければならないと思う。「あなたの言っていることの大半には共感できるけど、ここのところではどうしても…」といった言葉が聞かれることがある。これは僕にとっては共感ではない。少なくともピアカウンセリングの中では共感とは呼べないものである。
抽象的な話で申し訳ないが、共感しやすいことと、共感が難しいことは当然のごとくある。その理由を考えていくと、共感しやすいことは自分の価値観や経験にそぐっていることで、そうでないものには共感することが難しいと感じる。これはやはりジャッジである。その人の価値観、しいては人格を自分の価値観で計り、良しとするものには共感し、良しとしないものには共感しないという姿勢が見える。それはもう共感するという視点を失ってしまったもので、支援する側の都合によって区別された一つの関わり方であり、支援を必要としている人への真の意味でのエンパワメントにはつながらないであろう。その個人の持つ価値観や決断のプロセスを良しとするところをまずおさえて、そこに立って共感を豊かに持ち、支援の手をさしのべていくこと。そこに初めて対等者としてのピアが確立され、ピアカウンセリングの力が発揮されることになる。
共感力との関連の中で、ノンジャッジメンタルであるということが、ここでまたいっそうの重要性を持って提示されている。
■スキルとしてのピアカウンセリング
ノンジャッジメンタルであることや、それに支えられた共感を豊かに持つことを日常生活の中で常時おこなっていこうとすることは、非常に疲れることであり、また非現実的なことでもある。僕たちは自転車に乗ってばかりいては生活はできない。しかし自転車に乗るときは巧く乗れるにこしたことはない。スキルは磨けば磨くほど自然に使えるようになり、適時性や有効性を増していくものであろう。今回僕たちが試みた研修会は、ピアカウンセリングというスキルを使うことによって、HIVコミュニティの中に、新しい支援のあり方について一つの発端をつくろうとしたことであり、それがゆくゆくはHIVコミュニティ自体のエンパワメントにつながっていって欲しいという願いがその根底にあったように思う。
スキルとしてのピアカウンセリングは、今ヨロヨロと不安定ではあっても一つの歩みを始めた。それをスイスイと乗りこなせることを目指そうとする動きもすでに出てきている。頼もしい限りであり、僕としても継続性を持った努力を重ねていきたいと気持ちを新たにしているところである。
最後に、忙しいスケジュールの中で研修に熱心に参加してくださった方々、そしてこの研修を企画運営していただいたLAPの方々に、心からの感謝を捧げます。[ 鬼塚直樹 ]
ピア・カウンセリング研修会、コ・カウンセリング継続講習会 実施概要 |
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