■電話での相談と電子メールでの相談
ともかくも時間がない。昔、時間がないということが理解できない時期もあったが、時間がないというのは余裕がないということである。余裕というのは作らなければできないもの、ともいえるが、それだけの能力がまだないのだろう。
時間がなくなりできにくくなったことは、ネット上の情報提供である。時々電子メールでの相談はくるので、できていないのは情報発信ということになる。電子メールでの相談は、基本的には電話の相談とあまり変わるところがない。大きく違うところをあげると、一つは「文章にしなければならない」つまりあとに残ると言うこと、もう一つは書く側の「匿名性」である。
電話での相談との違いは、本来ないはずであるが、やはりことばを選んで返事することになる。 e-mailでは、表現が舌足らずで何らかの誤解を生じても、電話と違って、その場で訂正したり追加して説明するこきなとがでい。もう返事が得られないこともあるわけである。
■大きく変わったエイズをめぐる情報環境
私はもう10年以上オンラインネットワークに首を突っ込んでいる。この中でエイズをめぐる情報環境はこの数年で大きく変わってきた。大きく変わったのはインターネットを通じた情報が普及してきたところである。また、エイズに関わりのある人が、自分で情報発信することも以前に比べて容易にできるようになった。ホームページはもちろんのこと、ネットにニュースを流すことで、自分で情報発信をすることができ、それもプロバイダの用意した雛形に従って作ることができるため、面倒さが少ない。内容も充実したものができており、たとえば「紳也特急」(コラム参照)などは見ていても非常におもしろい。
■メーリングリストと、パソコン通信の会議室
<JINNTAさんの著書>
『生草医者のひとりごと〜おちこぼれ公衆衛生医のエッセー』(保健計画総合研究所刊 税込\1,575) 情報は、討議によって洗練化され、正確な方向へ落ち着いてゆく部分がある。このことは、かつてのパソコン通信の会議室の経験がある方はよくわかると思う。残念ながら、現在主流を占めているメーリングリストでは、この機能は弱いように思われる。
メーリングリストとパソコン通信の会議室との大きな違いは、メーリングリストは情報の提供には向いても、どうも討議には向かない感じがすることである。これにはいくつかの問題があると思われる。本来、会議室運営とメーリングリスト運営は基本的にはそう大差がないように思うのだが、違いを感じるのは歴史の問題なのか、それとも会議室のもつ「共同体」のような雰囲気が、メーリングリストには育ちにくいことから来るものなのか。こういう意味では、メーリングリストはパソコン通信会議室とは明らかに違うメディアである。つまり、メーリングリストは通常自由だが、逆を言えば求心力に欠ける部分がある。
■私信と同じ感覚だが、多くの人に配信される
メーリングリストはたとえ多くの人が見ていても、メールという形で配信されるので(最近ではホームページ上に逐次掲示され、過去の「発言」を見ることができる場合もあるが)、私信とあまり変わらない感覚で参加できる部分がある。会議室は通常、パソコン通信のネットのオフィシャルな形態を持っていて、一種のバーチャルな団体の体をなしている。従って、発言もやや公的な色合いを持っており、メーリングリストのように不規則発言は少ないし、現れてきても管理するマネージャーがいる。
■転送されて困ることは書かないのが鉄則
つぎに、最近気になることは、「発言」の流出、一人歩きである。これはマナーの問題であって、本来は会議室であろうがメーリングリストであろうが本質的な違いはないと思う。メーリングリストの情報を転送するかどうかの判断は、自分あてに来た手紙を人に渡してよいかという判断と同じである。これはメーラーで「転送」という機能が当たり前になっていて、メニューにもアイコンにも配置されているから、転送すると言うことの意味をあまり考えないで安易にやってしまえる環境がある。従って、メーリングリストに書かれた情報は、誰かがよかれと思って自然増殖的に情報が流出する場合は少なくないのである。しかし、会議室と違って、書いている側には公共性という概念が少ないから、結構転送されると情報提供者が困る場合があることもあまり意識しないで転送をやってしまうのである。パソコン通信の会議室なら、そういうことをしてはいけないという書き込みを誰かが定期的にあるいはアトランダムにしているし、たまに法的な問題があるなどの提議もされるので、なれてくるとそれとなく問題がある行為だと知ることになる。
一般に、パソコン通信の会議室では、会議室内の発言を会議室外に持ち出さない、転載は許可がいるなどの制限が課せられており、問題を起こした場合は契約上の問題となることや、通常スタッフ側も管理体制も問われ責任関係が複雑(?)になる。メーリングリストでは転送した人間のモラルよりは、そういう情報を書いた側の責任を問われるのがふつうで、管理側は責任をとらないシステムになっている。これは、パソコン通信では管理側に発言の管理業務が課せられているが、メーリングリストはメールの特定多数への配布と同じで、メーリングリスト管理者はその場を提供するだけ、という構造の違いである。つまり、メーリングリストを生きる鉄則は、転送されて困ることは書くな、ということである。
■ パソコン通信の文化を知らない人が大部分
e-mailが普及するに従って、パソコン通信の文化を知らない人が増えてきた。増えてきたというより、大部分はそうである。従って多くの参加者はパソコン通信の文化とは無縁で、パソコン通信の会議室のように自分が何らかの役割を担っている(少なくとも、シスオペ、サブシス、ボードリーダーと呼ばれるような会議室の管理スタッフたちはその雰囲気を持たせようとしている)中で作り上げるという気分よりは、何か便利なものがあるので利用するという感覚が強い。もっとも最近はパソコン通信の会議室がメーリングリスト化している感もある。
■会議室の衰退は時代の流れとも言えるが…
パソコン通信の会議室の衰退は、もっとも大きなものはインターネットからは使いにくいことであり、つぎに特定のネットのためにお金がいること、文字情報が中心であることである。メーリングリストのように勝手に送りつけてくるのではなく、読みに行かなければならない。だから、発言が少ない会議室は読み手も少なくなってくるのである。会議室に発言を書いたり、かなりの冒険でもある。 このような弱点が、インターネットのメーリングリストにはない。ただ、時代の変化ともいえようが、何となく昔のオンラインのコミュニティに郷愁を味わう時がある。かくて私のパソコンは、ソフトの不調でパソコン通信が縦横には出来なくなって久しい。
[JINNTA]
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