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患者会のあり方に関する提言

草田央  

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 患者会の評判が悪い。いわく「最初からお金(助成金、受託事業費、研究費、寄付など)を得ることのみが会の目的化している」、いわく「親睦会と称して飲み食いし、非生産的な愚痴を言い合ってるだけ」、いわく「暇な人間の溜まり場となっていて、近づきたくない」、いわく「一部の人間が会員個々のプライバシー情報も管理していて、恐い」などなど。そしてそのような患者会であっても、患者会というだけで、いまだにボランティア団体などがヨイショしているようだ。
 残念ながら、まともと思える患者会というものを聞いたことも見たこともない。きっと、まともな活動をしている患者会はあると思う。しかしその「まともさ」ゆえ、私の耳には届いてこない。秘密裏に活動されていると思われるからだ。それでいいと思う、目立ちたがりだけの団体が消えてくれれば。

 ■専門職が主体となって組織した患者会

 患者会というものを三つに分けて考えてみる。
 一つは、医師などの専門職が主体となって組織した会である。ボランティア団体などが作り上げた団体も、ここに含めてもいいかもしれない。つまり、患者(感染者)以外の人間が主体となり、つくられたグループである。これは一般に、自立的なセルフ・ヘルプ・グループ(自助組織)とはみなされない。「○○先生の患者グループ」であって、独立した患者会の名には値しないとされている。外部の人間もしくは組織に支配されているだけでしかないからだ。外部から支配されていなくても、単なる親睦を目的としたサークル組織も、ここに含めておくことにする。前述のような悪評も含め、ほとんどの患者会がここに属する。初期の血友病患者会もそうであったろうと思われる。

 ■社会変革を志向するグループ

 二つめは、社会からの援助、社会への依存を求めて、社会変革を志向するグループである。
 医療費の問題、福祉の問題等、患者を取り巻く環境は厳しい。その環境を改善し、「もっと気持ちよく社会に依存させてくれ」ることを要求し、陳情などの政治活動を展開するグループである。患者を取り巻く環境は、すなわち社会の歪みを反映している。公平な社会の実現のためにも、また個人ではどうしても解決できない問題を取り除くためにも、必要な活動だ。しかし、日本で実績を上げていると言える患者会活動といえば、このタイプばかりである。そして慢性疾患が依存的体質では治らないことは、服薬管理一つを見ても明らかであろう。福祉でも「自立」が大きなテーマとなってきているのである。
 二つめのタイプで世界的にも成功例と言われているのは、血友病の患者会だろう。治療薬を作らせ、医療費助成を獲得し、薬害による被害でも政治的解決で賠償金を獲得していったのだから。しかし、外部に対する働きかけが会の主な活動となるため、会は次第に官僚化し、軍隊化していく。
 セルフ・ヘルプ・グループでは、その基本原則に「平等」ということがある。したがって、会の同じ役職に一年以上も同じ人間がとどまることは好ましくないとされている。仕事は持ち回りで行なわれるべきものなのだ。けれども対外的には、同じ人間が同じ役職についていたほうが信頼されるし、仕事も効率的だ。次第に同じ患者でありながら、支配するものと支配されるものとの関係性が出てくる。会の活動は対外活動だから、支配する側の人間にとっては自己実現のカタルシスは得られても、支配される側の人間にとっては直接的なメリットは何もない(社会変革のメリットは、会に参加していなくても得られる)。ときには、支配する側が自己保身のため、もしくは組織防衛のため、支配される患者にとって明らかに不利となる行動に出ることもある(薬害エイズの理由の一つ)。それに気づいた患者たちは、会を離れる。支配する側が、あたかも多くの患者を代表しているかのように振る舞う期間が続くかもしれないが、いずれ消滅する運命にある。

 ■自立的な活動を展開するグループ

 三つ目は、真に自立的な活動を展開するグループである。会の目的は、個々の会員(患者)の治療効果なりQOL(生活の質)が向上することだと言ってしまえるかもしれない。ミーティングを中心に、相互交流を通じた自己発見が会の活動である。
 二つめのグループがマクロ的な患者全体の救済ならば、この三つ目のグループはミクロ的、たった一人の、自分の救済に焦点が当てられている。ピア・カウンセリングをグループワークで行なうようなイメージだろうか(ただし私は、ピア・カウンセリングを正確に理解していない)。
 代表的なのは、アルコール依存症の患者団体アルコホーリック・アノニマス(AA)である。日本では断酒会が有名だろうか。会に参加するものと参加しないものとの間に、その有効性(治療効果なりQOLが向上すること)の優位な差があるのではないかと多くの学者が示唆しているのは、この三つ目のグループである。それゆえ、この手のセルフ・ヘルプ・グループは世界中で急速に増加しつつある。依存症などの精神疾患からスタートしたが、様々な慢性疾患にも広がり、C型肝炎などの感染症でも登場したようである。

 ■AAの「12ステップ」は極魅力的な手法

 なぜ三つ目のグループのみが「有効」なのだろうか。それはAAの「十二ステップ」などの手法が、カウンセリング(心理学)などの科学的評価に十分耐えうるものだからのように私には思えるのだ。
 「カウンセリングの神様」と呼ばれるカール・ロジャーズは、エンカウンター・グループというグループワークを積極的に展開した。「エンカウンター」とは「出会い」という意味で、これは見ず知らずの者たちが「出会い」、安心できる空間の中で、他者の存在(相互交流)を通じ、自己と「出会う」(自己発見)というものである。この効果は実証されており、ロジャーズ亡き後も「増殖」を続け、多方面で行なわれている手法である。
 AAの「十二ステップ」は、キリスト教を母体としており、それゆえスピリチュアル(霊的・精神的)な面が色濃く出ているといえるだろう。しかし私には、そのエンカウンター・グループとの共通性が強く感じられる。ロジャーズもキリスト教の影響を強く受けているというのが通説であるから、そのためであるかもしれない。日本人にはとっつきにくいキリスト教的色彩を除けば、「十二ステップ」は極めて魅力的な手法に思えるのだ。

 ■「アノニマス」(匿名)の患者会はどうだろう

 それでは、「十二ステップ」とエンカウンター・グループの手法を参考に、私が考え付いた一つの手法を例にしながら、患者会のあり方について考えていってみようと思う。
 まず、ミーティングにはファシリテーター(司会・交通整理係)が必要である。まったく経験のない者が、いきなりファシリテーターをつとめるのは難しい。そこで、カウンセラーに依頼してみる。カウンセラーならエンカウンター・グループの経験もあるだろう。ただし、カウンセラーの参加は、一ヶ月をめどとする。その後は経験者が持ち回りでファシリテーター役を行なうことが望ましい。グループの自立と独立性を保つため、できるだけ専門家の関与は避けるべきだ。
 参加者は、最低二人(笑)から、多くて三十人まで。十人前後が望ましい。カウンセラーや医師の紹介でメンバーを集めるといいだろう。最初は感染者に限定したほうがいいかもしれない。しかし、感染者のパートナーや、遺族も含めたその家族が参加してもかまわない気がする。参加人数が増えてきたら、適宜グループ分けをする。
 ミーティングの場所と時間を確保する。ミーティングは、最初のうちは一週間を超えずに開催する(一週間を超えてしまうと経験が蓄積しない)。週一回、○曜日の□時から△で、と決めてしまったほうがいい。できれば名簿も作成しないことが望ましい。「その時間にそこへ行けば、仲間と会える」という環境を整えておけば十分だ。とりあえず2ヶ月約8回分、ミーティングのスケジュールを設定してしまおう。そして、翌月のミーティングについては、前月のミーティングのたびに周知徹底を図るというのではどうだろうか。
 参加者は全員匿名とする。ニックネームかファーストネームで呼び合う。この匿名性が「十二ステップ」の最大の特徴である。グループ名に「アノニマス」(匿名)とつけられる所以である。なぜ匿名とするのか。ひとつは社会から隔絶した安全な空間をつくりだすためである。それゆえミーティングで話されたことは、外部に漏らしてはならないとされる。匿名性も、ミーティングで安心して自分を開示できるための手法なのである。
 もう一つは、メンバー間の平等を維持するためである。とかく人間は、社会的背景(肩書き)で人間の優劣を決めがちだ。たとえば、メンバーの中に弁護士がいたとしよう。その人は、メンバーから信頼され尊重され、次第に依存の対象とされることになる。こうした危険を排除するために、自分の専門領域に関する発言は、ご法度だ。あくまで匿名の人物として、自らの経験のみを語ることを基本とするのである。メンバー間の関係性をミーティングに限定し、相互依存を避ける意味もある。この会の目的は自立だからだ。匿名性を堅持するため、当初はカミングアウトしているような感染者の参加は、避けたほうがいいだろう。
 対外的にも匿名性は維持される。何人もグループを代表して発言してはならない(もちろん代表という役職も置かない)。記者会見など論外である(記者会見をしたとたん、イデオロギーに染まり、本当に困っている感染者は近づけなくなる)。これは何も政治活動を否定するということでは必ずしもない。ミーティングの中で個人では解決不能な問題が明らかになった場合、有志を募って別のグループをつくって政治活動すればいいのである(これこそが「弱者の視点に立った」と言えるもの。一部の権力を持った感染者が自分の頭の中だけで考えた要求など「弱者の視点」には値しない)。このグループに限っては、そうした政治的紛争から隔絶した安全な場所として、継続的な活動が求められるのである。

 ■相手がただ存在すること(プレゼンス)が重要

 ミーティングの冒頭では、これらのルールの確認を毎回必ず行なおう。ミーティングは、イスを丸く並べた車座形式で行なう。平等であると同時に、相互に全身が見れるようにするためだ。インターネットを利用したミーティング形式も考えられなくもないが、この場合、会話の内容ではなく、相手がただ存在すること(プレゼンス)が重要なのだ。相手の言外の反応を直接肌で感じられることが必要なのである。その点では電話相談もダメで、紙によるアンケート調査などでは決して癒しは得られないことに注意が必要だ。
 次は自己紹介。もちろん本名は名乗らず、呼んでもらいたいニックネームを用いる。そしたら全員で歓迎の意を声に出して表明する。「○○さん、ようこそ!」「○○さん、こんにちは!」、まぁ何でもいい。ここが受容される空間であることを宣言する役割を果たすと考えてもらおう。全員から歓迎されたら、自らの体験について話をする。前回のミーティングから一週間の間に起こった出来事でもいい。もっと以前の体験でもいい。それを一人称で、どのように感じたかも含めて語るのである。
 ここで重要なのは、自分の体験に限定することだ。「友だちの話なんですけどぉ」なんていうのはダメ。「友達からこういう話を聞かされて、私はこう感じました」ならOK。「○○先生が言っていたんですけどぉ」なんていうのはダメ。「これこれこういうことで相談したら、こう言われて、こうしてみました」というならOK。「本にこう書いてあった」というのはダメ。「こういう疑問を持って調べてみたら、こう書いてあって、こう理解した」というのならOK。客観性ではなく、主観的に語ることが重要なのだ。したがって、たとえ医師であっても、自分の専門領域について語ってはいけない。あくまで自分の体験を通して発言するのみである。
 素人の主観的な発言だから、ウソや勘違い等々あるハズだ。しかし、それらの発言には、示唆に富む(参考になる)ものが多くあるはずだ。鵜呑みにするのではなく、自分で調べたり、主治医に聞いたりして、納得してから利用していこう。ここは、先輩が後輩に教えるなどという相互援助の場ではない。あくまで自分が主体的に自立することが目的なのである。したがって、相手の発言が間違っていても、反論してはいけない。疑問が提示されても、回答してはいけない。あくまで「自分の場合は、こうだった」と体験を語るのみである。こうした発言を聞き、自らの発言していくことによって、「気づき」(自己発見)が得られるはずである。会の活動はこれだけだ。

 ■決して多数決の原理は用いない

 会報をつくることもしない。会報をつくるとしたら、体験記を掲載することになろうが、活字化されることで主観的なウソや勘違いが真実であるかのように一人歩きする危険性がある。ミーティングの中で話されたことは外部に漏らさないというルールにも違反するし、匿名性の観点からも問題だ。したがって、郵送費や発送作業はいらず、そのための会費徴収も役まわりもいらない。せいぜいミーティングの場所代とお茶代がかかる程度だから、毎回ミーティング参加者で折半すれば十分だろう。
 よく医師に依頼して医療講演会を主催する患者会が多いが、あれも好ましいものとは思えない。医療情報は、個々の患者に適応した形で、主治医との関係性の間で提供されるべきものだからだ。一対多の一方的で受動的な形では、知識は決して身にならない。したがって、医師への謝礼なども不要である。
 何か決めるべきことが生じた場合、その場に参加している者の全員一致を原則とする。決して多数決の原理を用いてはならない。多数決の原理は、少数者切り捨てであり、平等原則に反するからだ。結論を出すことが重要なのではなく、話し合いの過程そのものが会の目的にかなっていると考えてほしい。

 ■自分と自分の隣人の救済をはかること

 どうだろうか。あなたの知っている患者会とは、まったく異なる世界だったはずだ。これは一つのアンチテーゼであり、適宜、現実にあわせて必要な修正を加えてもらいたい。
 高所に立って感染者全体の救済を考えることも重要だが、自分と自分の隣人の救済をはかることも重要なのだ。両者は車の両輪みたいなもの。しかし日本の悲劇は、後者のような活動が、ほとんどなされてこなかったことである。
 診療拒否にあい、治療薬も認可されず、ただただ死んでいくことのみを期待されていた時期には、社会改革が優先されるべきだったと思う。が、医療体制がまがりなりにも整備され、治療薬が続々と認可され、障害者として福祉の対象ともなった今、自立を目指した活動がおざなりにされてきたのも事実である。むしろ、上からの改革という制度の整備の中で、個々の感染者は見捨てられてきたのである。
 是非とも、一人でも多くの感染者が真のセルフ・ヘルプ・グループを立ち上げ、「増殖」させ、下からの改革を実現させることを心から望むものである。

[草田 央]
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