医療費が助成される、ホームヘルパーが派遣される、税金の控除がある、手当てが出る…。いろいろな福祉サービスが受けられるようになったけど、それだけじゃない。
HIV感染者の障害者認定が98年4月1日から開始されたことは日本の福祉にとって大きな意味を持っている。HIV感染者の障害者認定がもたらしたものとは何なのか。その実現に福祉の立場から尽力された医療ソーシャルワーカーの磐井静江さんに伺った。[構成 清水茂徳]
■身体障害者手帳を取らなければ福祉サービスにつなげられない
講演会に呼ばれたり、話をする機会があるたびに私はHIV感染者の方を身体障害者手帳の対象者にするべきだ、と4年ぐらい前から一貫して話してきたんです。身体障害者手帳を取らなければ日本では福祉サービスにつなげられないから、ぜひ入れてくれと。当時は理想は理想なんだけれど、という「絵に描いた餅」のような話でした。
でも、いくらボランティア団体が頑張っても、基本となるベースのサービスがなければ大変です。政府の政策が何もなくて全部ボランティアがやってください、というのでは人も時間も足りないというのは当然のことなんですよ。その基本ベースのサービスを提供するはどうしたらいいかというと、日本においては身体障害者手帳に位置づけるしか方法がないんです。手帳が交付されれば、医療費の助成、ホームヘルパーの派遣などのサービスが等級に応じて受けられます。
■国と国民が社会参加を保障していく「宣言」になっている
しかし一番大きい意義は、国と国民が責任を持って、障害者認定された人に対して、社会参加を保障するような意識を持ち、行動しなければならないという「支える宣言」になっていることです。HIV感染者は差別と偏見で大変だと枕詞のようにいわれますが、この国で社会的な位置を築き、社会認識を高めるためには現行法の中では身体障害者手帳の対象者として認められることが、とりあえず一番いい方法。これが全てではないけれどもとりあえずいい方法なんです。
■これまで難病の人は認められていなかった
私は病院のソーシャルワーカーとして福祉の仕事をしているわけですが、身体障害者手帳に難病の人が入っていないのはおかしいとずっと感じています。今までの法律は医学レベルということで、機能障害だけを見ている。目で見て分かる障害、臓器だったらここが完全に不全になっている、足だったらここがないとか、そういうようなものでしか認めてくれかった。でも、病院で私たちに相談をしてくる人たちの多くは病気に変動があるわけです。ある時は体も動かせないくらい辛いけれど、ある時は外に散歩に出られるような時もある。仕事もアルバイト程度ならできることもあるし、全くできない時もある。それが病人というものじゃないですか。病状は可変的なものなんです。なのに、こういう人たちは法律になじまないということでずっと門前払いを受けていたんです。
だからといって、なら仕方がないですね、諦めましょうとは私はとても思えない。日本の福祉社会を作っていくためには健康人とは違う様々な不利な状況があるような人たちを、全体的に障害者ということで認めていって、本当に必要なサービスを国民も国も援助するようになっていかないといけないんじゃないでしょうか。
■困っている人に必要なサービスが行き届くように
日本の中では福祉でお金が取れたとか、得したとか、そういう話になりがちなんですよね。努力しない奴が役所の金をもらっている、みたいな。それも誰かコネのある人に言ったり、役所に知ってる人がいたりするともらえるというイメージがなきにしもあらずではなかったのかと思うんです。何でそうなってしまうのかといったら、平等じゃないからなんですよ。本当に困っている人に本当に必要なサービスが行き届いていたら、みんなそんなふうには思わない。なんであの人にあんなサービスがいくのとか、こんなに困っているのに何でなんにも社会的支援がないのとか、そういうことがあるから何となく税金のぶんどり合戦をしているような感じがするんだと思うんです。福祉っていうものが見えにくくなっちゃって恩恵だけという感じになってしまっている。
■原告団から身体障害者認定の要望書が出された
原告団から身体障害者認定の要望が厚生省に出されたと聞いて、私はボランティア団体や当事者の人に血友病の人はこうしてるけれども、性感染の人も要望書を出すのなら今がチャンスだよ、と伝えました。国は血友病の恒久対策の一環としてやるということがあくまで主眼で、性感染の人たちが要望書を出して通るとも思えなかったけれども、今、ちゃんと自分たちの要望を言うことが大事だと思ったんです。
東京HIV診療ネットワークでも先生たちに厚生省の障害者認定の審議会のメンバーになって欲しいと声がかかってから、急にクローズアップされてきました。だけど医師は福祉のことをよく知らないんですよ。私は福祉関係者の中で優れてるわけでもなんでもないけど、私程度の知識でも、先生方には役立つことがあるということで障害者認定の話をしてきました。
■厚生省の審議会には福祉関係者が一人も入っていなかった
福祉関係者っていうのは非常に劣悪な状況におかれていて大学教授をはじめ、ちゃんと研究者がいるのに審議会のメンバーには福祉関係者が一人も入っていなかったんです。医師ばっかり。あとは厚生省のお役人たちが入っている。
そもそも身体障害者手帳というのは何なのか、という所から先生方が勉強される。そのレクチャーは厚生省の役人の方がする。ほとんどは正しいんだけど、一つの見方でしかないという情報だってあるわけです。なので、東京HIV診療ネットワークで社会事業大学の佐藤先生に話をしてもらいました。私は佐藤先生の話をかみ砕いて、それを現実のHIVの問題にしたらどういうふうになるかということを話しました。
先生方も審議会に福祉関係者を誰か入れたいと言っていたんですが、厚生省は入れる気がなさそうだということが分かった。じゃあ、どうやって福祉関係者の意見を入れていくのかってことになったんです。そこで、HIVソーシャルワーカーネットワークというグループをつくって、HIVの患者に関して障害者と言えるだけの社会的不利にはどのようなものがあるかということを調査しようということになりました。
■先進福祉諸国は医学レベルだけでなく「社会的不利」も障害に含めようとしている
社会事業大学の佐藤先生は身体障害者手帳をもっと広範な障害者の手帳にしていくべきだと言われているんです。それはWHOやアメリカ、ヨーロッパなどの先進福祉諸国の考え方からきています。日本のような医学的なレベルで、固定された機能障害だけを基準とするような考え方はないんですよ。他の国は予算の関係で日本よりも貧弱なサービスも多いのだけど、少なくとも障害に関しては、病人の人もかなり入っている。
WHOは医学的レベルだけで障害を判定するのではなく、社会的不利というものを含めて判定するべきだとし、そのスケール作りのための調査を各国でしています。例えば車いすの人にとって道路が全部まっ平になったりマンションが全部バリアフリーになったりすればそれだけ障害は少なくなる。それから障害者雇用法によって障害者が公務員などに雇われれば、就職困難なこの時期にもしかしたらかえって得しちゃうってことだってあるわけです。だから障害は社会がその人たちをどういうふうに受け入れるかで変わってくる。差別とか偏見が解消されることによってその人の不自由さっていうのは違ってくるわけですよ。
そこで佐藤先生に伺ったんですが、差別とか偏見というのを社会的不利に入れていくっていうのはなかり難しいですね、わかるけどかなり難しいって言うんですね。
ただ、医療費が恒常的にかかり過ぎて生活が苦しくなるとか、働きながら週に何回かの通院するとか、薬を飲むために生活リズムが大変だとか、そういうことに関しては、あきらかに医学的レベルを越えた障害と判定できるものがある、と個人的には思えるということをお聞きしました。
私としては差別と偏見についても社会的不利に入れて欲しかったですよ。国民がそういうことをしなくなれば障害は減るわけですから。感染者の人が求めてるものは、病気のことをオープンにしたって働ける社会だし、差別されないで生きていける社会なんですから。だから入れて欲しかったんだけれども、私も勉強していく中でWHOの考え方からしても、それを今入れるっていうのは、なかなか厳しいものがあるなと少しは分かっていったってところがあるんですけどね。
■軽症であればあるほど社会的不利が大きい
HIVソーシャルワーカーネットワークで調査項目を考えたときに、福祉集団がやるんだから嘔吐とか下痢とか検査の数値とかという医学的なことは先生方にまかせて、それ以外に何がこの人たちを不自由にさせてるかということにターゲットをあわせようということになりました。日常生活での不自由さとかセックスの不自由さ、福祉サービスを利用するときの不自由さ、といった普段ワーカーとして感じてる不自由さから7項目の調査票を作って東京HIV診療ネットワークのメンバーの協力を得て、感染者の人に答えてもらいました。70数例集まった回答を解析したら、重症になれば差別と偏見を感じる人が減り、社会的不利が減る。軽症であればあるほど差別や偏見を感じる人の割合がとても高いということが分かったんです。社会経済活動をすると差別や偏見をいつも感じていなきゃならないんだけど、仕事もやめちゃって病人になりきっちゃってるときにはそれはすごく少ない、と。だから、医学的レベルだけで判定しちゃうとこの人たちの生活の不自由さ、生活障害っていうのは反映されなくなってしまうんです。
■「これまでの仕組みを一から考え直さないとダメだ」
こうした、何がHIV感染者の生活障害になるのかについての分析結果を審議会の中でアピールすることにしました。
CD4が二百でも五百でも投薬を開始していると生活障害はほとんど変わらない。HIV感染者の生活障害は投薬開始からはじまる。社会に出ればでるほど差別や偏見を感じて生活がしにくくなる。今回の調査結果を加味して認定基準を考えていただかないと、HIV感染者の方たちのためにわざわざ障害者手帳を作るのに感染者の人に意味をなさないものになります、ということを私は話しました。
私が退席した後、ある審議委員の人は「これまでの仕組みそのものを一から考え直さないとダメだ」といってくれたそうです。
■「日常生活活動制限の内容」に2つの項目が加わった
それは私が言ったからというのではなく、そうなっていくベースがあったんです。厚生省もWHOの「医学的レベルだけで障害を判定するのはダメだ」という答申について日本はどうするんだ、といわれているし、以前、障害者基本法が改正されたときに難病患者のことも考えなきゃいけないという国会の付帯決議がついてる。だからつつかれたら国はいろんなことをやらなきゃいけないわけなんですよ。
それで審議会ではもう一回振り出しに戻って検討しましょうということになった。ただ、審議委員の医師の多くは医学的レベルでの判断を捨てたくはなかったんです。そんな中、根岸先生たちは社会的不利やWHOの新しい国際障害者基準(障害の項目を細分化して実態に合うものとした。社会的不利も具体的で詳しい内容になっている)を検討し、審議会ですごく粘ってくれたんですよ。その結果、「日常生活活動制限の内容」という12項目の中に「生鮮食料品の摂取禁止等の日常生活活動上の制限が必要である」「軽作業を超える作業の回避が必要である」という2項目が加わったんです。
これは感染者の社会的不利を反映するための項目なんです。厚生省などから見れば「軽作業を超える作業の回避が必要である」というのは身体上の問題で労働制限があるということなんでしょうけど、例えば通院を頻繁にしなければ軽作業ができないというケースも該当するわけです。厚生省の文書にも、貧血がひどいからとか、どこそこの身体上の問題で、といった理由を求める記述はありません。現実に「軽作業を超える作業の回避が必要である」なら該当するんです。
「生鮮食料品の摂取禁止等の日常生活活動上の制限が必要である」という項目についても「生水の摂取禁止、脂質の摂取制限、長期にわたる密な治療、厳密な服薬管理、人混みの回避も含まれる」と書いてあります。
診断書を書く指定医師の先生がこうした事情を知らないと、不必要に該当者を制限してしまうことにもなりかねなません。本来、認定されるはずの人が認定されないことも起こり得るんです。そうしたことを避けるために、ボランティア団体の人にもこの2項目が加わった理由を広めていって欲しいんです。指定医師が充分理解されていないと感じたときは「厚生省か審議会の先生に問い合わせてみて下さい」とていねいにお願いしてみてください。
■更生医療の対象に認められた
HIV感染により障害者認定を受けた人は更生医療の対象に認められることになりました。これは画期的なことです。
これまで更生医療は固定化された障害を改善するための医療に適応されてきました。人工透析は腎臓が全く機能しなくなってしまった人が生命を維持するために続けるということで認められています。心臓のペースメーカーもそうです。じゃあ、HIVに更生医療というのはどういうことなんだろうという話になるわけですが、今回、更生医療の概念の変化を感じる内容になっています。発症予防のための治療もその人自身が悪くならないようにするための治療として認めましょうということになったんです。福祉を知っている人間の既成概念からみると、悪くしないための治療に更生医療が適応されるのは驚きでした。
更生医療は等級に関係なく受けられます(所得に応じた自己負担金があります。自治体で障害者の医療費助成を行っていますが、これに該当しない人も利用できます)。
育成医療(18才以下の人が身体障害者手帳の有無に関係なく利用できる制度)も認められるようになり、医療費の問題はほぼ解決しました。お金がないから薬を飲まないという人はほとんどいなくなるでしょう。ポリシーで飲まない人、副作用が恐くて飲まない人はいるでしょうけど、経済的問題で薬を飲まないという人は理屈上はほとんどいなくなります。
ただ更生医療を行うには指定医療機関になる必要があります。拠点病院などは申請をしていると思いますが、小さな診療所などは指定医療機関の要件に足りないため申請しても更生医療が認められない場合があります。
■申請にはソーシャルワーカーに同行してもらう手もある
一番大きい問題は患者さんが身体障害者手帳を取るかどうか、取った後、様々なサービスの申請をするかどうかということです。
いくら制度ができたといっても、やっぱり残るのはプライバシー保護の問題です。システム的にプライバシーがちゃんと守られるという保証がなければいくら「勇気をもって申請したら」といっても申請する勇気をもてるわけはないんですから。
でも、これまで生活保護などの時もそうだったんですが、申請にソーシャルワーカーがついていって「ちょっと相談があるんで」と個室に行って、担当者に万一プライバシーが漏れたら大変ですよ、エイズ予防法で罰せられますよと念を押しておけば役所はすごく慎重にやると思いますよ。
不安がある人はソーシャルワーカーについて行ってもらうのがいいと思います(忙しくて断るソーシャルワーカーもいますが)。
■HIV感染者のデイケアセンターが作れるかもしれない
国が今後、提供していく関連福祉サービスとしてあげているのはデイケア、ショートステイ、ホームヘルパーの派遣です。やると言った以上、国は整備しなくちゃいけない。
感染者の人が集まってシェルターが欲しいと思ったら、認可を取ってデイケアセンターが作れるかもしれないんです。そうしたことに助成金がでればすごいじゃないですか。
毎日は無理だけど週数回だったら仕事ができるという人もいますから、作業所的なものを作って事業を起こすこともできるかもしれない。
今までボランティア団体で活動してきた人たちがそっちにシフトしていくことだってできるわけです。
ホームヘルパーが行うのは基本的に家事の援助です。申請すれば都内の1級2級の単身者なら週に3時間づつ2〜4回程度は来てくれると思います。
■日本の厚生行政を変えていくための重要な一歩を踏み出せた
HIV感染者に障害者認定が認められたことで、肝炎の人や膠原病の人など難病の人たちへの障害者認定にもつながっていくんじゃないかと思っています。それはこれから何年もかけてやっていく話になるかもしれませんけど。
私は今回、HIV感染者の障害者認定の件に関われて本当によかったと思っているんです。
20数年病院に勤めていて、何で病人がこんなに差別を受けるんだろうとずっと感じてました。職場に行けば「治してからいらっしゃい」といわれるし、慢性疾患の人は「そんなにあてにならない人は来てもらわなくていい」といわれる。社会参加しようとしてもできないのが病人じゃないですか。そうした人たちをみんなで支援していくのが福祉の基本なのに、取り残されていたんです。
でも、社会的支援があれば病人ももっともっと社会参加できるかもしれない。企業のローテーションの組み方一つで仕事ができるようになる可能性だって秘められているんだから。そうしたことが進んでいけば、病人であっても生き生きと生きていけるし、ずっと病人になっていなくてもすむ。慢性疾患の患者さんは純粋に病気だということももちろんあるんですが、中には社会からどうでもいい人間と見られることによって病気をずっとやってなければいけない、と心因反応を起こしている人だっていっぱいいるわけですよ。私は患者さんからの相談を受けていてそう感じています。
病人であっても生き生きと生きていける社会を作ること、それが病院にいるソーシャルワーカーとしての私のライフワークだと思っていました。今回、こうした機会に恵まれて、本当に原告団の方には頭が下がる思いです。原告団の人たちは薬害を受け、その恒久対策を協議していく中でみんなに還元できるようなことをしよう、と考えてくださった。それが実を結んできて、もしかしたら日本の厚生行政を変えるかもしれない。それは素晴らしいことですよ。石田さんたちの死は無駄じゃなかったということに本当の意味でなるんじゃないでしょうか。命を削って亡くなられてしまった人たちにとっては、恒久対策として日本の社会を変えるようなものがなければ証しがないわけですよね。
身体障害者手帳にのったということで、社会的不利や差別や偏見で仕事を追われてしまうような人たちが国の法律で救われることになった。これは本当にすごいことだと思います。