97年の熊本に続く、第12回日本エイズ学会は98年12月1日〜2日まで東京の永田町で開かれた。
応募演題は全て採用されているといううわさだが、抄録によれば今年の演題数は275。発表者・参加者も基礎・臨床からNGOと幅広い。この傾向は国際エイズ会議と同じようだ。本当はワクチンの研究の進歩状況とか、数だけはそろったものの地域や医療者の格差がいわれている拠点病院制度についての情報を得られればと思ったけど、つまみぐいをしながら各会場を渡り歩くのは不可能なので、今回は「今後、日本の治療はどうなるんだろう」というあたりからみた報告をしようと思う。
■日本初のガイドライン・暫定版
まず、学会前夜に開かれたシンポジウムでは、日本初の抗HIV薬ガイドラインの暫定版(別名:とりあえず版?)が発表された。内容を見ると、日本独自というものではなく、とにかく「日本語で書かれている」ということに意味があるのかな。すでに治療をしている医師ならば当然知っているのではないか? ということばかりであったので、これはまだ治療についてよく知らない医師が間違った処方をしないために出されたのだろうかと思う。だとすると、「ガイドラインの考え方、処方の実際」というような手引き的なものがいるのではないかと感じられた。つまり、情報としては出回りやすくなったかわりに、「ああ、こうやって出せばよいのだ」というかたちで、本人が治療のことをよくわからないうちにとか心の準備が不十分なうちに薬が出て、最終的に「ちゃんと飲めない」→「耐性」というような問題が生じるように思うのだ。しかも、印刷物は訂正がきかないので、日々新しくなる大元のガイドラインの流れを継続的に得ていく手段をもたない医師はひたすらこれを信じて何年も処方してしまわないだろうか(どこかの大学教授の講義と同じだな)? とか思っていたらこの翌日アメリカの保健福祉省からは改訂版のガイドラインが発表になった(嘘のような本当の話)。まあ暫定版だからそのうち新しいのも定期的に出してくれるのかな。でもいつ出るという話はなかった気がする。服薬指導をしている薬剤師さんとかもメンバーに入ったらもう少し親切な説明の内容とかも入ると思うんだけど。
バンクーバーの時に「新しい情報」であった「治療や検査技術の進歩」が、その後日本に取り入れられて、臨床や治療を受けている患者の生活・人生にどのような変化をもたらしたのだろうか。
■多剤併用が一般的に。ウイルス量検査も活用
[臨床]の演題をみわたすと、抗HIV薬の多剤併用が一般的になり、また治療の開始や効果判定にウイルス量検査が活用されていることがわかる。しかしすでに外国で経験しているように、治療に失敗した場合の次の選択肢や、長期的な副作用など、長期的な管理が前提となっているこの治療による負の面についての報告もされ始めた。
都立駒込病院の味澤氏の「AZT+3TC+IDV(インディナビル)投与におけるAZTの投与量の検討」では、副作用の頻度の高いAZTの量を米国のスタンダードの600mgではなく300mg、400mgとして投与しての効果を報告した。一見地味な研究の気もするが、一定期間がたったところで、日本人における副作用や治療効果を含めての量的質的な検討は貴重である。日本では新しい薬の承認の迅速化が決まっており、そのうちAZTと3TCが一緒になったCombivir(コンビビル:1回1錠1日2回)も入ってくるのだろうが、このタブレットにはいっているAZTは300mgであるので、1日量は600mgになる。そのあたりをどう考えるか。自分に心配する副作用がおこるかどうかがわからないところが難しい…。
東京医大の山元氏「プロテアーゼインヒビターの中長期的有害事象について」、国立国際医療センターエイズ治療研究開発センター(以下ACC)の安岡氏「プロテアーゼ阻害剤の副作用」は、この病気の治療のよい面ばかりをみていてはいけないのだということ、現在治療がうまくいっているとしてもこの先もOKというわけではないのだということをつきつけられた気がする。こうした情報は、これから治療をしようとする感染者、またすでに治療を始めている患者にも伝えてほしいが、学会に参加していない医師の方が多いのが現実。いつまでも「時代はHAART [注1]だ! さあ、今日から薬を飲んでもらおーか」という医師のフォローは誰がしてくれるんだろう。
先にふれたガイドラインもそうだが、「どうしようかなあ」「いつから飲もうかなあ」と悩んでいるうちに新しい薬やガイドラインが出てくることもあるのだろうし、悩んでいる間にウイルス量やCD4が激変しないのだとしたら、治療によって得られるメリットとか経験するかもしれない副作用をどう考えるか、どう対処すればいいのかということを含めて今より慎重に治療のことを考えなければならないということだ。だから、ACCの吉澤氏の「急性期における抗レトロウイルス療法〜肝機能の正常化した2例」はどうとらえればよいのだろうと思った。いろいろな不安や疑問のある急性期。先の長期的な副作用の情報などを検討して 、「今すぐ」開始するほどのメリットがあるのかとか、そういう検討は必要度がうすくなるということか? 肝機能によってはとにかく早く始めた方がいいということなんだろーか?
■医療者の積極的な福祉情報の提供を求める声
[社会]では、ぷれいす東京をはじめ、感染者本人、またはその支援活動をしている立場からの発表がたくさんあった。専門職といわれている人たちの演題よりも、研究の手法、研究対象に対する倫理的配慮などが洗練されていた。逆にこれは学会で発表する演題(研究)なのか? というものもこの分野には多かった。活動報告はスライドで細かい字で説明されてもよくわからない。ポスターなどの展示形式にしてゆっくり見たかった。実際に外国人・MSM[注2]など対象ごとの分析をする動きは、漠然とした調査紙研究が多い行政や研究者といわれるひとたちよりも迅速であるといえるのではないだろうか。
98年4月から始まった障害認定について、利用者にとっての関心や問題点についての調査結果を都立駒込病院の堀氏が報告した。印象に残ったのは「自治体・担当者によって対応やサービスが異なる」「医療者が積極的に情報提供をしないと、制度への疑問や不安のある患者はこの制度の利用がしにくい」ということであった。一人ひとりに制度の説明が徹底されている病院もあれば、壁にポスターが貼ってあるだけの病院もある。現在でもまだ診断書の書き方がよくわかっていない認定医がいるという現実、こうした発表は肝心の人たちにはとどかないだろうという究極の現実をどうしたらいいのだろうか。
■どうしたらうまく薬が飲み続けられるのか?
そして[服薬]。このテーマが盛り上がるのだろうということは誰もが予想はしていたのではないだろーか。実際に13の演題が並び、また12月1日夜には服薬に関する公開シンポジウムが開かれた。発表も薬剤師・医師・ナースと多様で、外来における話題が多かったのも特徴といえる。これまでは治療の失敗原因や飲みにくさ報告が多かった。今回は、専門家の試行錯誤というかたちで具体的な努力や成果が発表として出てきていた。
兵庫医科大学、鈴木氏・日笠氏が発表した服薬援助シート[図]は、開発までの経緯や実際の援助例が具体的でわかりやすかった。
外来の演題が多い中、ACCの外薗氏の「エイズ脳症患者への内服自己管理へのアプローチ〜行動療法を用いて〜」は病棟の症例を報告した。入院前から異常行動があり、幼児性が見られた患者にオペラント条件つけ(反射的にすりこまれた行動をとるというやつ)で「適切な服薬訓練指導」を行ったとある。会場からの質問でもあったが、脳症でなくても導入継続また副作用モニタリングが難しい治療の同意(またはその代理)をどのようにとり、周囲の協力の中長期的な見通してをたてたのだろうと思った。
同じ質問の中のコメントでDOT(direct observation therapy:直接監視下で内服を確認する。結核の治療で発展)ということが言われていたが、日本では実際に在宅で独居に近い患者のところに内服時間の度にボランティアがいくほどのリソースは見当たらない。この先も治療は保留にせざるをえない層が、治療薬や保険システムがあっても一定の割合で存在するのではないかという印象の方が強く残った。
抄録にある演題名を見渡すだけでもいくつか気づくことがあった。ACCの古澤氏の演題「ダブルプロテアーゼの服薬状況」。同じACCの医師の潟永氏は「プロテアーゼ阻害薬2剤併用療法の臨床効果」という演題名。他のいくつかの演題のタイトルの中にわざわざカッコ書きで「double PI」。もうちょっと正確で統一された表記はないものか。
ちなみに最近の英語の文献は「dual PI」となっている。「ダブルプロテアーゼ」というのはいわゆる「ネルフィナ」「インディナ」というような略称じゃなかろうか。まあいいか。
このリトナビルとサキナビルの例のようなプロテアーゼ阻害剤の併用はトライアルを含めると97年のアジア太平洋エイズ会議(マニラ)においてもすでに報告があり、この時点でもサルベージ(治療の失敗後の救済療法)としての長期効果はのぞめず、やるなら第一選択のコンビネーションとしてするべきではないかということが言われていた。日本において今後、どのような位置づけになるのかは今回の学会の発表では見えてこなかった。
さて。薬の専門家といえばやはり薬剤師なのだろう。国立大阪病院の桑原氏、関西医科大学附属洛西ニュータウン病院の山下氏、国立病院九州医療センターの西野氏の3つの演題があった。西野氏の演題はカウンセラー・ナース・栄養士・医師が含まれていたが、発表の中では実際にどの程度具体的に連携しているのかはよくわからなかった。桑原氏と山下氏は抗HIV療法における服薬指導についての特質を踏まえ、医師やナースとはちがった切り口、さらに患者の生活の質へのコメントもあり心強い印象を受けた(これからは薬剤師さんとも仲良くなろう)。
東大医科研の村上氏「服薬アドヒアランスに影響を与える因子についての考察」では、何が内服の継続を難しくしているのかということを丁寧に検討するものであった。実際に表面的な会話で「飲めているかどうか」を確認する医療者は多い。「飲ませる」という医療者サイドの目的からの判定や一方的な指導ではなく、一緒に問題を検討していくという作業・姿勢が大切なのではないかと思った。これはHIVに特別な関わりなのか、それとも通常の服薬ということでも医療者が必ず行っていることなのだろうか。私は病院通い自体が初めての体験なのでわからないけど…。
■患者と医療者の相互関係を重視するアドヒアランス
このセッションでよく聞かれた「コンプライアンス」と「アドヒアランス」という言葉の違いがよくわからず困っていたが、その謎解きは夜の公開サテライトシンポジウムを待たなければならなかった。シンポジウム「抗HIV療法とアドヒアランス〜失敗しないためのポイント」から得た情報としては、「アドヒアランス」はコンプライアンス(医療者の指示にどれだけ患者がしたがうかという見方)をあげることを志向して使われている概念で、コンプライアンスとの違いとしては、治療そのものの難しさ(薬の飲みにくさや服薬の条件など)・医療者側の情報・知識・説明の仕方やコミュニケーション・患者と医療者の相互関係といった様々な因子を重視するということだろうか。こうした因子それぞれの向上・改善抜きにこの治療はうまくいかないということだ。シンポジウムでの「ある診察室の風景」では「あるある!」というような医者・ナースと患者の「よくない例」の寸劇があった。会場は大いに盛り上がり笑いがおこっていたが、あの笑いにはどんな意味が込められていたのだろう。他人事と笑っている医師こそヤバイのではないか。企画・運営・出演までしていたという現場の医師らの世代を見ていると、時代のうつりかわりを感じた。問題や暗い現実ばかりが目につく学会でこのシンポジウムだけやけに熱かったような印象が残った。
※注釈
[注1]HAART
highly active antiretroviral therapyの略。多剤併用(カクテル)療法などの強力な抗ウイルス療法のことで、96年に米国で打ち出された。日本では97年から本格的に行われるようになり、HIV感染者の入院減少、死亡数の減少がみられている。しかし、血中ウイルス量を検出限界以下に維持できるHIV感染者は期待できるほど多くはないのが現状。一時は「早期にできるだけ強い治療を」ともいわれていた。しかし、本文4頁にあるように、患者への服薬援助の対応が十分でないなどの状況での不用意な治療開始による治療失敗が耐性ウイルスの出現を引き起こす可能性も大きく、現在は「早期の治療は望ましいが、あまり早すぎても…」という意見が広がっている。(参考:サテライトシンポジウム味澤篤氏資料)[注2]MSM
Mem Who Have Sex With Menの略。男性とセックスをしている男性のこと。男性とセックスをしている男性でも自身を「ゲイ」と認識するかどうかは本人の自己規定に左右されるところが大きい。疫学的あるいは公衆衛生学的に、行動によって規定された「MSM」のほうが、HIV感染予防の対象となる社会の一つのセグメントをより適確に規定していることからアメリカで使われるようになった。(参考:LAPニュースレター第18号)
第13回日本エイズ学会事務局ホームページ
http://www.lap.jp/aidsgk13/
第13回日本エイズ学会(会長:根岸昌功・東京都立駒込病院、理事長:栗村敬・大阪大学)事務局の公式ホームページができました。演題募集等の事務局からのアナウンスや入会案内、学会の歴史、サテライトシンポジウム・セミナーのお知らせ、交通・宿泊のご案内、リンク集等を掲載しています。