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講座4 |
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研修会というのはいつも本当にハードですよね。朝から晩までね。JaNP+でもHIV陽性者スピーカーという、HIV陽性者の立場でいろいろな話をできる人を育てるためのハードな研修会をやったりして、自分たちの技術をスキルアップしていこうというプログラムをやっています。で、今日は「GIPA:HIV陽性者の参画拡大〜アドボカシーとネットワークの視点から〜」。なんじゃこりゃって言葉ばっかり並んでいますよね。ゆっくり説明していきましょう。
1.JaNP+について
JaNP+の活動目的(Mission)
まず、JaNP+についてお話をさせていただきます。JaNP+というのはですね、大層なことを目的として掲げています。JaNP+の活動目的というのは、「HIV陽性者が秘密を抱えることもなく、社会的な不利益を受けることもなく、HIV陽性者として自立した生活者としてあたりまえの生活ができる社会をめざす」。つまり、私たちが人間らしい生き方をふつうに、あたりまえにできるような社会を実現したい、ということです。そういう社会が実現したらJaNP+は解散します。まあ、ちょっと遠そうですね。
目的達成のために何が必要か?
この目的を達成するためには何が必要か。たとえば今、自分たちの病気を親しい人に話すのにも非常に気を使わなければいけない、あるいは話せない状況にある。ここにこうしてピアサポーターの研修を受けようと皆さんは集まっているわけですが、こうした場に集まれる、来られる人たちというのはHIV陽性者の1割もいません。たとえば病院の患者会でも、私が行っている病院は1,800人〜2,000人近く診ている病院なんですが、そこで患者会をやっても集まって来るのはせいぜい40人〜60人。なぜ、そういう状況なのか。
なぜHIV陽性者の姿が見えないのか?
私たちのように同じ陽性者同士で集まるとしてもそれくらいですから、当然、社会ではますます見えるわけがないですね。じゃあエイズなんて日本は終わっちゃったんでしょ、昔の病気だよと、本当に思っている人がいっぱいいるわけです。HIVという言葉もだいたい世間の人知らないですよね。で、「おう、あいつエイズだぜ」とかっていうようなことが囁かれている。そんな連中に言えるわけないでしょ。「僕、HIV持っているんだ」「いやHIVってエイズのウイルスなんだ」って。それは非常にHIV陽性者の多いゲイコミュニティの中でも同じです。
ゲイコミュニティの中では非常に今、二分化していましてね、エイズのことに関してある程度知識がある、あるいは受容的な、たとえばもう友達からの感染告知を1回告られて、ある程度そこで悩んで、やっと這い上がってきて受容的になっている人。HIVの問題って大事だよねっていうようなことを言う人、そういう人にはどんどんどんどん集中的に告っちゃうんですね、周りはね。「あいつエイズじゃない? 痩せたじゃん、長谷川痩せたよな、エイズじゃん?」とかって言っているような奴には誰も言わないわけです。そうすると「周りにいないよ、そんなもん」というふうになってしまう。一般社会の中ではさらにその傾向が強いです。この10年。その理由の一つはメディアがほとんど何もしてなかった。年数回のエイズ動向委員会の報告がされる時に、何行かの記事がでるだけ。ただ、酔狂な新聞社の偉い人もいましてね、産経新聞というところに。宮田一雄さんという、今、産経新聞の編集長なんですけどね。だからHIVに関しては産経新聞、かなりまともです。はい。
なぜ人々はエイズを怖れるのか? なぜ無関心なのか?
HIV陽性者であることを隠して生きていかなきゃいけないという、今のこの状況を変えなきゃいけない。でもなぜ、そういう状況があるのか。一つはHIVが見えないものだから。見えないものって怖いでしょ。人間って見えないこと、予測がつかないこと、理由が分からないことに恐怖を覚えるわけです。おばけだとか、見えないけど聞こえてくる人の悪口とかね。見えないこと、分からないこと、自分が理解できないことが人間は恐怖なんです。だからたとえば自分と違う人間を認めたくない日本人は、外国人がエイズを持ってくると言ったりします。これはダブルで、外国人が怖い、エイズが怖い、二つが一緒に来ます。今、陽性者が表に出て行けない状況がある。そうしたらますますその恐怖は広がる。そうするとますます差別とか偏見は強くなって、陽性者はますます出て行きづらくなる。悪循環の堂々巡り。じゃあ、どこでそれを切るのか。まあ、割と正直に忌憚のない話をする時にね、非陽性者の人は「いや〜やっぱり陽性者も頑張らなきゃね」って無責任に言ってくれます。じゃあ、あんたがそうだったら出て行けるかいってね。立場の違いによってそういう部分もある。まず、社会自体が変わっていかないと、私たち自身もそういった目に見える存在にはなりずらいわけです。
この恐怖っていうのは目をそらさせます。実際、嫌なもの見たくないでしょ、誰だってね。道を歩いていてね、特に日曜の爽やか朝なんか歩いていると、どっかこのへんにゴミが積み上げられてたとする。それをマジマジと見る人ってあまりいないですよね。それと一緒で人間は嫌なものは見たくない。つまり無関心を装うのは、これは無関心という形の、あるいは無視という形の偏見とか差別なんですね。
実現をさまたげているもの、スティグマ(Stigma)
そういう偏見とか差別がどうやって作られているかというと、それはスティグマ(Stigma)、はい、またややこしい言葉が出てきました。これも日本語にしづらい言葉なのですが、汚名とか差別的烙印という訳が付けられています。スティグマっていうのは結局、エイズっていう病気に貼付けられた烙印みたいなことをいいます。つまりエイズは死ぬ病気だ、すぐ死んじゃう病気だと。
たとえばアメリカでは15年〜20年くらい前、レーガン政権で大統領までがこんなことを言ってました。「エイズは健全な合衆国市民がかかる病ではない」。レーガンは本気で言っていたんです。だからアメリカでは積極的な対策が取られずに、その結果、数十万人規模で感染が広がっちゃったんです。サンフランシスコとかアメリカでは私と同世代の50代、60代のゲイは本当にいません。ゲイコミュニティのパレードとかストリートフェアに行っても。その世代はミッシングジェネレーションといって、かなりの割合で亡くなってしまっています。その時、オーストラリアは「あっ、セックスワーカー、もういることは間違いないからなんとかしましょう。はい、ゲイの人たち、頑張って下さい、お金出します。はい、ドラッグユーザー、これはもう違法だけどしゃーないやん」って言って、注射器の交換とかメタドン療法(代替薬物療法)を進めていくようになった。多様なものを受け入れていく、スティグマを少しずつ抑えていくような政策をとった。そうしたら1990年にはオーストラリアは陽性者の増加率がマイナスに転じています。世界で最初にエイズ対策に成功した国はオーストラリアなんです。それともう一つはイギリス。
そういったスティグマっていうものが存在していて、それが日本のエイズ対策の中で一番大きな問題。だって今、治療できるんですよ、ある程度ね。薬もある。福祉制度もある。こうした日本の制度は、先ほど大平さんがいらっしゃいましたけども、薬害被害者の人たちが訴訟を起こす中で、全ての感染者、陽性者が同じ、という視点で、恒久対策として押し進めてくれた制度です。日本では福祉を含めて、世界トップレベルの治療の水準、体制ができています。アメリカあたりでは、保険にも入っていないため、無料プログラムに参加しないと薬が飲めない人がまだ、かなり多いわけです。にも関わらず、日本でHIVがなかなか減らない。特に今、エイズを発症して分かる人が3割以上ですね。どういうことかっていうと、それまで1回もその人は検査受けてないんですよ。日本で今、毎年報告される1,100人強の人たち、そのうちの30数パーセントはそれまで検査を受けていない。高齢層の男性が多いんですね。それは何故か。
40代以上の世代の状況
一つは、エイズに関する情報が20代、30代には比較的届いているんですけども、40代、50代、60代というところになかなかいっていないことです。もう一つは1988年頃に起こったエイズパニック。これの影響を一番ダイレクトに受けた層でもあります。40代以上の人たちはエイズっていうことが嫌だな、そういうエイズに対するスティグマがある。それで自分自身が「あ〜、そんなもんになりたくない」と思って目をそらしている。
もう一つは性に対して非常に狭い考え方をする世代でもあるということ。ゲイであるということも、あるいはセックスが非常に恥ずかしいことだっていう意識がある。性に対するスティグマやセクシュアリティに対するスティグマというのも、エイズに対するスティグマと同時に存在している。
JaNP+の活動内容(Activity)
JaNP+の活動内容は「治療や福祉などに関する情報提供活動」、「生活環境の向上や人権擁護のためのアドボカシー活動」、「国内外のHIV陽性者を繋ぐネットワーク事業」の三つです。主なプロジェクトはスライドの通りです。
一つめは情報提供活動です。ただ、情報提供活動といっても、いわゆる治療の知識としての情報はかなりの病院でもうありますね。一方で、主に患者の立場からやっぱり欠けている情報があるなと思うわけです。たとえば、病院はどこに行ったらいいのかって誰も言ってくれませんよね。告知がされた時に、保健所の人はこういうところがありますからお好きに選んでくださいって言うけれど、好きに選べますか? 情報もないのにね。いやうちは行政ですからどこにというふうには言えません、とかって言うんですよね。非常に不親切で、じゃあ、誰のために検査やってるの、ということなわけですね。陽性者の立場からすると決して十分ではないんです。
また今ある情報というのは、はっきりいってほとんどが新規感染、感染が判ってすぐの人たちのためのものです。治療に関しても、ほら薬はこんなにあります、今おすすめはこれとこれです、それがダメだったらこっちです、なんていうのがね、「HIV感染症『治療の手引き』」などのガイドラインに載ってる。患者さんたちの中にもその程度のことはだいたい読んで勉強している人が少なくない。でも、長期でもうオプションがないんですという人に向けた情報があまりに少ない。
私もそうなんですけども、ほとんどもうスーパーサルベージ状態(笑)に入っているんです。あと使えるオプションが一つか二つか三つ。でもまあ次にはこれがくるからまだ大丈夫だと、死ぬ気はまだしないなと今は思えます。1992年に私が感染が判った時は薬が1種類しかなかった。しょうがないから単剤でみんな飲んでいた。血友病の人たちもそうです。どんどん新しいのをやっているから、3剤併用療法が可能になった時にだって、交換できるのは二つ位しかない。私たちのような古い患者にとっては3剤併用療法は絵に描いた餅だった時期もある。でも、そういう人たちが今、5年、6年と経って、5年選手以上の人たちが数千人になってきた。にもかかわらず、あいかわらず情報は新規の人に向けてしか発信できていない、ということで、「PLWHA(HIV陽性者)ミーティング・長期療養シリーズ」という勉強会を開催してきました。
外観変容が治療を継続する気力をなくさせるということを、医療者はまず理解してくれない。僕もリポアトロフィ(脂肪萎縮)が出てますでしょ。まあ周りには、う〜ん、糖尿病だからねって言いつつ、でもみんなだんだん副作用でこういう症状が出るっていうのは分かってきている。特にどんな情報にもアクセスできるインターネットでは。私はいいですよ、面の皮が厚い分ね、少々油が抜けても耐えられますから(笑)。でも、場合によってはコミュニティの中で、「あいつ、リポでてるね」っていう話が出てくる。そうするとだんだんだんだん自主規制をしてくる。そういった問題は医療者はなかなか考えてくれない。じゃあそれに対して、どういう治療法があるかっていうことを私の行っている病院の先生もご存知ありませんでした。成長ホルモンの治験を去年まで国立国際医療センターエイズ治療・研究開発センター(ACC)でやっていたんですけど、終了してしまいました(エイズ・ウェイスティングの治療薬としては1999年に認可済み)。でも、アメリカではニューフィルっていう薬が認可されていたり、世界はちゃんと外観の変容は患者の生活の問題ということを認識しているんですけども、日本の医療者の発想では、美容整形とか、そういう中で捉えられてしまう。陽性者の生活にかなり理解のある先生方でもここに関してはなかなか分かっていただけない。
アドボカシー活動とネットワーク事業については後半でご紹介します。
主なプロジェクト
主なプロジェクトとして、情報提供活動ではパンフレットとかビデオ等の制作をしています。ビデオというのは2002年度になりますけども、「ポジティブ・ビジョン[治療生活ガイド]」というクリーム色のパッケージのビデオを制作しました。もしかしたらご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。
情報提供の中で私たちが重視しているのは、各種プログラム開発です。たとえば「治療と生活のアウトラインを知ろう」というHIV陽性者ミーティングのためのプログラムをJaNP+が立ち上がった初めの年に作ったんですね。ちょうどそのころ治療情報が非常にもうあまりにも膨大になり過ぎて、何が重要で何が重要じゃないかが分からなくなってきた。つまり、治療オタク化していくと、アメリカの科学誌まで追いかけていって、情報に振り回されちゃうような状態が出てきてしまってた。その一方で、自分自身がコロコロ治療を変えていって、治療のオプションを使い果たしてしまった人もいたりしたわけです。そういった状況の中で、何が重要で何が重要じゃないかっていう、アウトラインをきちんと知るためのプログラムとして作りました。僕たちは医者ではないので、医療の専門的な知識を知るためのプログラムではなくて、どこで情報を入手するかという情報の整理をしてもらうためのツールを作りたかったのです。
スピーカーズビューローとアドボカシー
アドボカシー活動の中に「スピーカーズビューロー」という項目があります。これは最初にお話ししましたHIV陽性者スピーカーを養成し、派遣し、支援していくプロジェクトです。スピーカー養成のプログラムは当初、オーストラリアの社会学者、彼女自身もHIV陽性者なんですけども、HIVが判ってから博士号を取ったスーザン・パクストンという人が作ったトレーニングマニュアルがあって、それを持ってきたんだけども、どうもこれは日本人には合ってないねっていう感じがしたんですね。日本人だけじゃなくてアジア人に合ってないねって。もうなんかね、場合によってはアメリカ型のそういうプログラムって、どこかの販促トレーニングみたいな「Hey! Repeat after me, say vision, yeah!」とかっていう、そういうのが入っていたりするわけですよ。アジアにはアジア人向けの、日本には日本人向けのプログラムが必要なのではないかということで、自分たちなりの視点でいろんな検討をしつつ、3年ぐらいかけて、ようやく完成させ、今年から公募したわけです。
それともう一つ。実はスピーカーズビューローというのは、小さなカミングアウトなんですね。たとえば、ピアグループミーティングのような、あるいは、話しても他にもらさないルールのある、あるいは知っている人がいないことを参加者リストをチェックした後で、安全が保障されている場所だと分かったところに話に行く。そこで、派遣されたスピーカーは小さいけれどもカミングアウトをするんですね。なにもテレビに出たり、何千人の大ホールで話すことだけがスピーカーじゃない。もっと言うと、たとえばこういう陽性者だけの集まりで、新しい陽性者だとか、他の陽性者に話すことも、スピーカーの役割なんです。そうすることによって、私たちの現実は少しずつ外に広がっていく。スピーカー養成研修はもちろんスキルズビルディング、技術や技能を学ぶ場でもあるのですが、これは結局、アドボカシーなんですね。アドボカシーというのは、あとで説明しますけども、私たちの権利だとか、そういうものを守り、住みやすい状況を作っていくということ、そこに向けての活動がアドボカシーなんです。人権擁護、啓発、研究活動、こういったものがJaNP+の主な仕事になっています。それをやるためには、1人ではなかなか難しい。だから、横に繋がっていくことが大事です。横に繋がっていくことで私たちの声を伝えていく。たとえば、まあ何人かね、かなり面の皮の厚いメンバーも中にはいます。いろいろなところに出て行ってガンガン交渉する強面さんもいれば、なんかニコニコと笑って情報を出していくような語りの上手な人もいる。また、シャキッとしてズバズバ鋭利な刃物で突き刺すような、そういう鋭い人もいれば、女性もいれば、いろいろな年代の人がいるわけですね。感染経路も性感染もいれば血液製剤由来の人もいて、一緒に活動しています。
2.HIV陽性者の立場
なぜ「HIV陽性者」なのか?
前振りだけで時間が半分経ってしまいましたけど、実はJaNP+の活動をご紹介する中で、今日の話はだいたい半分くらい終わっているわけです。
私がさっきからですね、「HIV陽性者」という言い方をしてますけども、なぜ、HIV陽性者か。この言葉は1993年に活動を開始したSHIP(ステイ・ヘルシー・インフォメーション・プロジェクト)のニュースレターで最初に目にしました。当時、発症したら3年持つか持たないかという時代に、ステイ・ヘルシー・インフォメーション・プロジェクトという、かなり皮肉なネーミングですよね。その当時、唯一のHIV治療に特化した日本語の情報誌でした。看護師さんとか若いドクターたちも英語の苦手な先生とかはSHIPニュースレターを見て治療の方向性とか状況、現状を勉強してたりしたわけです。それは今、三重県立看護大学の助教授をやっている井上洋士さんという人が最初に立ち上げたニュースレターだったんですね。
私もそのあとで実感してくるんですけども、行政の人とか予防とかであちこちにお話をしにいきますと、HIV感染者という言い方をするんですね。HIV感染者という言葉は本来は、感染した人間(Infected Person)っていう意味なんですが、医療や行政の人たちっていうのは、感染させる人間(Infective Person)っていう捉え方をしちゃってることに気づいて、びっくりしたんですね。「おや、私はそういう人間なんだ」って。予防のことを医者と話しているのに、どうも私が誰かに感染させることしか気にしていないんですよ。あるいは、保健所の所長さんとかね。
「感染者」っていう言い方は本来は感染したっていう単なる事実を言っていたんだけども、もうちょっと中立的で前向きなニュアンスを持った「陽性者」という言葉を使うようになってきました。
HIV陽性者が直面する共通の問題
HIV陽性者が直面している問題というのは、世界中同じで、社会状況によって現れ方が異なっているだけなんです。ネットワーク活動の一環として、海外のHIV陽性者の団体との窓口を2002年からJaNP+がさせていただいています。アジアのHIV陽性者の団体との交流を行っています。そこで学んだことは、みんな同じ問題抱えてるということ。で、振り返ってみたら自分たちも同じ問題を抱えていた。どういうことかというと、みんなの関心事っていうのは結局、差別と偏見をどう解消するか、それと、治療にどうしたらアクセスできるだろうということなんです。
日本は治療のアクセスはいい、と思うでしょ。だけど、治療っていうのは何も、抗HIV薬だけではなくて、HIVに感染していても早く治療を始めれば健康でいられるのに、発症するまでほったらかしてしまう状況があるというのは、これはさっき言ったように、偏見によって治療へのアクセスが妨げられているんですね。だから、治療へのアクセスを妨げるのは、なにもお金の問題だけじゃないんですよ。偏見が治療へのアクセスを、目の前の治療に手を伸ばさせない、そういう状況を作っているんです。必要な治療を受けること、すなわち治療へのアクセスを保障することは健康権の問題であり、生存権に関わる基本的人権の問題です。
偏見と差別は何を生むかというと、本当はもっとふつうに生きたい、友達とふつうに自分のことも話したいといった自由を非常に制限してしまう。つまり、偏見と差別っていうのは人間の自由権っていう権利に関わってくる問題なんですね。
その解決として、やっと今日の本題に入ってきますが、GIPAという概念があります。後で詳しく話しますが、これはHIV陽性者、私たちが、もっといろいろなエイズ対策の主役にならなければダメでしょ、といってるわけですね。それを進めるためにはアドボカシーが必要なんです。政治家に陳情したり交渉したりっていうことだけでなくてですね、さっき言ったようなスピーカー活動を積み上げていく、あるいはセフルヘルプグループやピアグループをやっていく、当事者への活動をやっていくことも実は結果としてアドボカシーをやっているわけです。たとえば今日、初めて他の陽性者に会った人がいたとします。それまで自分はもう1人なんだ、もう誰にも言えないと思っていた。でも他の人と会うことで、他の人たちは「あら、友達には言っているの?」「え、家族に言ってないんだ、でも友達には言っている」とかね、結構いろいろな人がいるんだということが分かってきます。そうすると、もう誰にも言えない、あるいは逆に誰かに言わなきゃいけないと思っていたけど、誰にも言わなくてもいいんだとかね、いろいろなことが見えてくるわけです。でも、誰にも言わない人は言わないなりに、たぶん、世間話として伝わってくるんですね。自分の話はしなくても、「あ〜、最近こういうこと多いみたいね、HIVに感染する人多いみたいね」と話すことで、正しい認識が伝わっていく。そうすることで世の中は少しずつ変わってくる。そういうことも含めた活動がアドボカシーです。
日本における治療アクセスの問題
日本での大きな問題は、先ほどお話しした「いきなりエイズ」です。いきなりエイズというのはとっても嫌な言い方です。私は「未検査発症例」と言っています。未検査発症例の多さは、偏見によって治療アクセスが阻害されていることを示しています。
また、医療や保健、ケアなどの社会サービス提供者の理解は十分なのでしょうか。
今年5月31日〜6月2日までニューヨークの国連本部で国連エイズ対策特別レビュー総会が開かれました。5年前、2001年6月の国連エイズ特別総会で、世界の政府はみんなエイズに対して責任を持った政策を進めようという「コミットメント宣言」が200カ国近くがサインして採択されたんです。これには日本も当然入っています。その「コミットメント宣言」の見直し・検証を目的に今年、5年目の会議があったんです。そこでは「政治宣言」が全会一致で採択されました。その「政治宣言」の中では、「包括的な対応の実施には、予防、治療、ケア、サポートへのアクセスを妨げる立法、規制、貿易などの障壁の除去、十分な資源の投入」が必要だと明記されています。
「コミットメント宣言」の日本語訳
http://asajp.at.webry.info/200607/article_7.html
http://asajp.at.webry.info/200607/article_8.html
「政治宣言」の日本語訳
http://asajp.at.webry.info/200607/article_6.html
包括的な対応には予防、治療、ケア、サポートへのアクセスが必要なんです。予防情報にちゃんとアクセスできていれば僕たちは感染しないで済んだかもしれないんです。陽性者の治療へのアクセスはまあ日本は良いでしょう。ところがサポートはどうでしょうか。私たちが病院に行くのはひと月の1回だとしましょうか。で、医療者と接触している時間ってどれくらいですか。30分? 待合室で看護師つかまえて世間話したりしてる私でも2時間? 最近ちょっと慎んでいますけど。30日の内のまあ何十分かですよね。多くの人は、発症しても元気になって、自分たちの生活に戻ってきたんです。じゃあ、病院以外の生活の中で、必要なサポートに日本ではアクセスできてますか。今日ここに来ている人たちは比較的、そのアクセスが良い人たちだと思うんです。だけど、多くの人はこういった場にアクセスできていないんです。まあ実際、1万何千人の内の1割もいないんじゃないかと思います。つまりサポートに対してのアクセスは日本は非常に良くないってことです。
日本の医療システムとか、医療文化からくる問題もあります。私よく言いますけど、日本でエイズ診療が始った時に、HIV診療は患者本位のチーム診療だって言われてましたね。あらゆる立場の医療者が平らに繋がって、1人の患者を支えるっていう、とっても素晴らしい夢のような話を聞きました。今、どれぐらい実現されているでしょうか。
私は子どものころから身体が弱くて、小学校低学年くらいまでは病院が遊び場だったんですね。そうすると、病院の先生はお父さんで看護婦さんはお母さん。で、私は子どもだったせいもあるけど、患者はその一番下にいて、途中にレントゲン技師さんがいたり、他のコメディカルなスタッフがいるわけですね。ピラミッドになっているんです、日本はね。そして患者は医者に反抗しちゃいけない、あるいは言う事には従わないと病気が治らないわよっていうふうにずっと言われ続けてきたでしょ。今、病院に行くと「患者様」、気持ち悪いですね、口先だけの言い方はね(笑)。態度で示せよってついつい言いたくなるんですけども。患者という立場を尊重するという考え方が今、近代の医療の中では進んできているわけですが、でも日本は非常にそこの、ピラミッド型のいわゆる医療風土といいますか、そういったものが影響していて、なかなかそういった治療以外のサービスへのアクセスがうまくいかなかったり、アクセスしても非常に居心地が悪かったりして、通院を中断してしまうといった例が結構あったりするんですね。そういった部分で、日本のHIVのチーム診療体制の整備が非常に難しいという問題があります。
HIV陽性者の視点
HIV陽性者は予防も、検査も、医療も、全ての過程でクライアントで来ているわけですよ。サービスの受益者としての体験や経験を持っている。私たちはこういったエイズ対策の全体をちゃんと見れる立場にある。ある部分では、医療者への、ある部分では保健師や保健所長よりも、ある部分では霞ヶ関の疾病対策の役人よりもちゃんとした見識を持っている。そういった当事者性や生活者の視点の重要性が実は、GIPAという概念で認められてきました。
3.GIPA
このGIPA(Greater Involvement of People Living with HIV/AIDS)という概念は、1994年のパリ・エイズサミットの共同宣言に盛り込まれた重要な原則です。「HIV陽性者のより広範で積極的な参加」というふうに訳しています。まあ、この時代って結構大変でしたよね。日本でも公表していたのが、平田豊さんとアカーの大石敏寛さんくらいだったかな。うん。で、私は隠れてました(笑)。まあ、1993年くらいから講演活動を始めていたんですけど、でも、そういう時代です。これ、世界でも同じだったんです。日本だけじゃなくて。なかなか顔を出せなかった。GIPAの考え方が登場したのは、リアリティが伝わらないエイズ問題に顔を与える必要があったからでした。2001年になって、国連エイズ特別総会の「コミットメント宣言」の中では「HIV陽性者はエイズ問題の当事者として活動を続けてきた専門家である」「その経験とか知識を活用しないのはエイズ対策において大きな損失である」と、この1994年のパリ宣言をさらに積極的な姿勢で再確認しています。これは今年の「政治宣言」でも確認されています。
日本におけるGIPAの進展
日本では、まずHIV訴訟の和解を背景に薬害の被害者の人たちの参加がはじまりました。2003年からは大平さんと花井十伍さん、東西の原告団のそれぞれの代表の方が、薬事・食品衛生審議会の血液事業部会運営委員会っていうところの委員になっています。これは当然でしょう。あれだけ大変な被害を受けたわけですから。薬務行政をより安全に進めていくには彼らが参加していくのは当然だということです。
去年、1999年に施行された新感染症法に基づく「後天性免疫不全症候群に関する特定感染症予防指針」(エイズ予防指針)の5年目の見直し検討会っていうのが開かれました。エイズ予防指針なのに陽性者は大平さん1人だけが委員として選ばれたので、文句を言いました。文句言ったら、じゃあヒアリングをと、意見を言いに来いと言ったので、文句を言いに行きました。私はまず、一番深刻な被害を受けているゲイコミュニティからの代表がなぜここに入っていないんだと、そして性感染の人間がなぜ入ってないのかと言いました。1999年に最初の予防指針ができた時には、大石敏寛さん、そして北山翔子さん、花井十伍さん、大平さんの4人が入っていたんですよ。ジェンダーも感染経路もバランス良く。なのに5年目の見直しでなんで1人なのか、なんで性感染の人間が入っていないのか。大平さんがいけないって訳じゃないですよ。なんで予防対策の見直しをやるのに、性感染の人間がいないんだと文句言ったんです。まあ文句は場合によっては言った方がいいと思います。今の状況を見るとやはりまだまだ僕たちはこういう政府に対する働きかけも必要だろうと思います。そこの一番のキーは「もっと陽性者の声を政策に活かせ」「世界ではもう常識になってるぞ」ということです。
エイズ予防指針見直し検討会の議事録は厚労省のホームページに掲載されている。
http://www.mhlw.go.jp/shingi/kousei.html#aids-yobou
検討会資料はWAMNETに掲載。http://www.wam.go.jp/より「行政資料」→「保健」→「感染症・疾病関連、エイズ関連」
長谷川氏の発言要旨は2005年3月25日付「第4回」の「資料4-1」。
世界におけるGIPA
世界におけるGIPAは、本当にいろいろなレベルで進んでいます。コミュニティレベルでは多くの地域で進展していて、ヘルスワーカーとして雇われている陽性者がいたりとか、UNAIDS(国連合同エイズ計画)などの国際機関にもいっぱい陽性者が雇用されていますね。UNDP(国連開発計画)も、たとえばインドで職員にたくさんの陽性者を雇用しています。世界基金でも活躍している陽性者がいます。HIV陽性者がどんどんケア・サポートや予防、教育などの公共分野で活躍したり、国際機関や政府機関で様々なプログラムの開発や実施にたずさわっています。国際的には、陽性者がエイズ対策で大きな役割を果たすということが常識になっています。日本はどうでしょう。エイズ予防財団になぜ陽性者が1人もいないんでしょうね。変な話です。世界の非常識ですね。
もちろん日本でも、エイズ対策の現場にいろいろな人が入ってきています。自分が当事者であると言わないだけで、当事者だからこそ、切迫した状況の中でいろいろな経験をし、非当事者からは見えにくい実態を理解し、エイズ問題に取り組んでいる人がいます。ところが、日本のエイズ対策をやっているプロフェッショナルといわれている人、医療者も含めて、世界のスタンダードを知りません。知らないというと失礼ですね、頑張っている先生もいらっしゃいます。中国に行って、エイズの問題で頑張っている先生たちもいらっしゃいます。コミュニティのことを一生懸命やってくださっているブロック拠点病院の先生も多いです。HIVに関わる僕らの中に一緒に降りてきて活動してくれる人たちがいます。名古屋でも今年のHIV/AIDS啓発イベント「NLGR」では医師が園児服を着てみんなの質問に答えていたとかね、そういう人たちもいらっしゃるわけです。一方で、世界のスタンダードがなかなか見えない方も多い。
とはいえ世界でもGIPAの形骸化が問題点としてあがっています。世界中同じ、役所がやるとどうしても形式だけになってしまいがちです。ハイハイ、聞きますよ。そうですね、大変ですね、って。ところが、陽性者が結構ちゃんと政策の決定レベルにまで入り込んでいる国もありますね。日本ももっと入り込んでいかなきゃいけないと思っています。
4.アドボカシーとネットワーキング
HIV陽性者の社会的脆弱性(Vulnerability)
HIV陽性者の積極的な参加を進めていく上で、もう一回確認しておきたいんですけども、HIV陽性者っていうのは社会的に弱い立場の(vulnerable=脅かされやすい)人たち、つまり、HIVに感染しやすい、HIVに脅かされやすい人たちなんです。たとえば現在の報告の6割以上を占める、男性同性愛者、男性とセックスをする男性(MSM)およびバイセクシャルの人もそうです。小難しい表現ですが、同性間の性的接触による感染報告が多いのは、日本社会の同性愛者に対する非受容的な態度と、そこから生まれる同性愛者自身の自尊感情の低さが大きく影響しているんです。女性も、外国人も同様です。まして日本ではドラックユーザーは駆け込む場所すらない。警察に通報するという場合もあります。あるグループが調査をしたら、医療機関も「警察に通報します」っていう回答が結構あったんです。でも、通報より前に守秘義務もあるでしょ。そのことも理解できていないのが日本の医療の社会なんです。それはどういうことかっていうと、ドラッグは良くないっていうその医療者の勝手な判断なんですね。セックスワークも多くの国で違法とされていますが、違法性を理由に、これらの人たちに支援の手が伸びないとむしろ問題は地下に潜ってしまい、予防介入の機会さえ逃す結果となってしまいます。「政治宣言」には感染予防の手段として、「薬物使用に関連したハーム・リダクション(健康被害軽減)への取り組み」が明記されています。当事者のレベルでやっとこうしたことが見えてくる。HIV陽性者の積極的な参加を進める、ということはそういうことなんです。
HIV陽性者の侵されやすい人権
HIV陽性者の侵されやすい人権については先ほど、健康権と生存権の一つとして治療アクセスの保障についてお話ししましたが、セクシュアルヘルス(性的健康)も健康権と生存権に関わっています。
皆さん、病院でセクシュアルヘルスに対しての働きかけを受けましたか? 皆さんがこれからセックスをしてもいいこと、それがきちんと、言葉や形だけじゃなく伝えられて、その上で、自分を守るためにより安全なセックスをしましょうね、と。どうしたら安全にセックスができるかという、セクシュアルヘルスへの働きかけがあったでしょうか。実は日本の医療制度の中ではほとんどされていません。それで、耐性ウイルスが出て来たと騒いでる。「ほら、耐性ウイルスがこんなに出てるじゃないか」と。
日本の耐性ウイルスの出現率は20%弱です。アメリカではおよそ40%です。HIVの対策に最初に成功したオーストラリアはおよそ30%弱です。ということは日本のHIV陽性者の人たちはきちんと自分の性行動を実は管理しているという判断が別の見方するとできるわけですね。ところが一部の医療者、一部のということを強調しておきますね、一部の医療者は「高い薬使いながらなんでこいつら勝手なことやってるんだ」と言うんです。それはゲイが嫌いなだけの人なんですよ。もっと言うと「性感染の人間には金だすなよ」とはっきり言う偉い先生もいるんです。セクシュアルヘルスはセクシュアルライツ(性的権利)の問題にも関わってくる。セクシュアルライツというのは性的に自由である権利です。性的に自由である権利が私たちにはある。
そしてもう一つ、一番重要なのが治療における自己決定権です。薬を飲むか飲まないかを決めるのは私です。私は7、8年位前にSTI(戦略的治療中断)という言葉が出てきた時から、薬を一時中断したいとずっと言っていました。でも主治医からはなかなか同意を得られませんでした。で、世界でそういう動きが出てきて、やっと止められました。今、30ヶ月目でそろそろ復帰です。そういったことをね、自分で決める。私たちには、自分の治療を自分で決める権利があります。自分でちゃんと判断して治療を選択していくには、インフォームド・コンセント(十分な説明に基づく合意・同意)が欠かせません。情報をちゃんとくれなきゃできないですよね。
VCT(Voluntary Counseling & Testing)の原則
HIV抗体検査にはVCT(Voluntary Counseling & Testing)の原則の徹底が必要です。HIV抗体検査を自発的(Voluntary)に、ちゃんと自分の自発的な意思で受けられているか。検査前後のカウンセリング(Counseling)はちゃんと提供されているか。形だけのカウンセリングではないか。JaNP+がある研究班の中で調べた結果では、医療者や保健所の告知をする人たちは、やっていると言ってるんです。患者の側にインタビューをしていくと誰も受けていないっていうんですよ。つまり、きちんと伝わるような伝え方ができていないってことです。HIVは今、どういう治療ができて、だから今あなたに必要なことはこういうことです、と整理して、リアリティを持って伝えることができていない。一方で厚生労働省はガンガン検査を進めようとしている。量を増やすことはたしかに一定の予防の効果がありますけど、質が上がらないともっと悲惨なことになるってことに気付いてないんですね。質も同時に上げていかなきゃいけない。
ネガティブサポート
今でも病院で、医師からは「私があなたのおそばにいるから大丈夫よ」って言われ、看護師さんからは「あの先生、信じていいから」「医者に従いなさい」と両方からガチガチに固められて、どこに連れて行かれるか分からない状態の患者さんが、結構、地方の小さい病院などでポコッと1人で孤立していたりするんです。もちろん本人たちは良かれと思ってやっているんですが、これは、ネガティブサポートです。情報を遮断することで社会的な孤立をもたらしたり、この人本来のライフスタイルを喪失させてしまったり、支援者との共依存を招いたりします。NGOの情報はいっさい置きませんという病院もあります。情報遮断っていうのは知る権利を侵害しているし、患者が自分が決める自己決定権を侵害しているんですよ。とかく医療の世界というのは患者を管理したがります。で、このへんのことを知っていないと僕たちは自助とか自立っていうことがなかなか難しくなってきます。
ネガティブサポートはNGOにもあります。「ほかの感染者に会いたい」と言ったら、「やめなさいロクなことないから」と言われたとかね。こういったネガティブサポートは私たちの周りに山ほどあります。私たち自身も知らないでそれをしていることも、きっとあるんです。そこに関しては敏感になってなきゃいけないです。
アドボカシーの重要性
アドボカシーとは先ほどもお話ししました通り、私たちの権利を守り、住みやすい状況を作っていくことです。それは、いろんなことをいろんな方面に働きかけていく活動でもあります。当事者レベルで個人に働きかけていくこともアドボカシーですし、社会やコミュニティレベルで教育、PR、キャンペーンをすること、政治レベルでのロビー活動もそうです。こういうことをやっていかないと、私たちの全体の問題はなかなか解決に向けて進んでいかない。
でも、そういう活動は1人ではできません。JaNP+が5年目に入って、何かあった時には、薬害訴訟の東西原告団の人たちと並んで、JaNP+から働きかけるというスタンスもやっとでき始めました。去年、今年と2年間、厚生労働大臣とJaNP+の運営メンバーとの面談を実現しました。
JaNP+のメンバーは実は複数の陽性者のグループに関わっている人たちが半分以上なんですね。今、9つの団体と約300人くらいの個人がネットワークを作っています。
ネットワークの意味
ネットワークっていうのはどういうことなのか、皆さんよく勘違いされる。「JaNP+って自助団体ですよね」って。「まあ確かに一種の自助なんですけども、団体ではないんです。ネットワークなんです」って言ってもなかなか通じない。で、いろいろ調べましたら、ネットワークっていうのは割と新しい考え方なんですね。1990年前後から、特に市民運動なんかで出てきた言葉なんですね。たとえば昔だったら学校の父兄会の連絡網みたいのがあって、その集合体がネットワークがだろうって非常に観念的に考えていた。でも、どうもそうじゃないみたい。もっと自由でいいみたいです。
医療とかっていうと、一つの権威があってガチガチの枠組みが作られているわけですね。行政は枠組みだけではなくて、さらに手続きっていうのが必要になってきます。その手続きを踏み外すとお金がもらえなかったりするんですけど。ネットワークはそうではなくて、あらたな価値観を共有するものが補完関係、お互いに補い合う関係で結びつき、協力し合うことを目指した独立した個人やグループ、つまり運動体としての個人、運動体としてグループのゆるやかなつながり、とある本に書いてありました。この本は日本でネットワークという言葉が使われて始めたきっかけを作った本らしいです。私の説明も実は付け焼き刃です。「あらたな」というカッコ内の言葉は私が入れました。
HIV陽性者ネットワークの意義
じゃあ陽性者ネットワークは何ができるのか、その意義は何なのか。実は、世界中の陽性者が共通の課題を持っています。女性だったりゲイだったり外国人だったりと立場は違うかもしれないけれども、少なくともHIV陽性者であるということでは同じように、社会的脆弱性(Vulnerability)と社会的基盤の欠如の中で不利益を被っている状況があるわけですね。そこを回避しなければいけない。回避するために何かしら一緒に動いていく。その中で、知識や経験の交換がなされて、自分たち自身の能力とか力量が向上していく。世の中に働きかけたり、あるいは誰かを支えたり、自分自身がちゃんと生きていくためのスキルが上がっていくっていうことですね。そして情報の交換。風通しの良さが大事ですね。ここだけに止めていたら情報は広がっていきません。ほかの人に役に立ちません。情報を風通し良く周りに出していくっていうことが非常に重要なことです。
こうした中で、相互の力づけ(empowerment)がなされていく。自分は1人で孤立している必要はないんだって。これに気づくことで、力づけられますよね。これがネットワークの効果です。
もう一つは多様性と相互補完。HIV陽性者ネットワークにはゲイのグループがあります。血友病の人たちがいます。女性のグループもミックスのグループも、お母さんだけのグループもでき始めています。そういう多様な陽性者のグループが繋がっていくなかで補完し合う。それぞれのグループに1人だけでもお互いの情報を交換できる人がいればいいんです。そうすると、ほかの人は安心してそこに参加できる。
ぶどうの房が、中がパイプになっている、空洞になっているのを想像してみてください。いろいろな栄養が外から入って来て、ぶどうの実はぎっしり詰まっている。でも安全に皮で守られている。そういう状況も一つのネットワークの形です。
いろんなセルフヘルプグループがある。でも、やはり自分の地域の中では派手な動きはできない状況もある。そしたら外に向かって動ける人もJaNP+には集まっていますので、動くのはその人たちに任せればいい。一緒に出て行く必要はないわけです。後ろで一緒に繋がっていく、あるいはできる範囲でお互いに補完しあうという関係を作る、というのが、HIV陽性者のネットワークを組んでいく意味だと私は考えています。
世界の陽性者ネットワーク
陽性者のネットワークは世界中にあります。アジア太平洋地域、アフリカ地域、ラテンアメリカ地域、北米地域、カリブ地域、ヨーロッパ。この中で一番大きいのがアジア太平洋地域かな。この連合体の中で人数は一番大きいんですね。インド人もパキスタン人もオーストラリア人も日本人も、クック諸島の女の子もそこに来るわけですよ。インドといっても、北と南はぜんぜん違う。言いたいこと腹にためずにワーッと吐き出しちゃう文化背景の人もいれば、東南アジアの女の人たちはすごくおとなしい。それが一緒になってやるっていうのはちょっと大変なんですけど。
一応、JaNP+からは去年までは私が日本の代表という形でAPN+に出ていまして、現在は女性の方に交代したのですが、彼女はAPN+の共同議長をやっています。
アムステルダムに本部、GNP+があります。もう一つがICW、女性のネットワークですね。これが世界の陽性者のネットワークになります。
5.活動の今後と課題
共有できる部分を生かす
陽性者の視点からできることには、支援(ピアサポート)、相談(ピアカウンセリング)、ピアグループミーティングなど様々なものがあります。プログラムを開発して、共有できる部分を生かしていくことが重要です。JaNP+が作ってきた、あるいはぷれいす東京やLAPが作っているプログラムがある。それが横に繋がっていくと「あ、そこちょっと変じゃない?」「ここにこういう文献があるよ」「こういう実践例があるよ」って、知識や経験が交換されて、プログラム自体がもっともっと良くなるわけです。いろいろな人がそこに繋がっていくと、客観的なプログラムができてきます。今は、感情的な情緒だけに根ざした支援ではなくて、支援には適切な技能と合理性が求められると思います。
異なる部分を見つめる
異なる部分を見つめることも重要です。同じ陽性者の中にも差異があります。陽性者にもいろいろな人がいるわけです。若い人も年配の人もいる。保守的な価値観を持つ人も、ラディカルな価値観を持つ人もいる。でも、その違いを認めて尊重していく姿勢を僕たちが持たなければ、同じ陽性者としての活動とか行動は出てきません。実は、日本は血友病患者と性感染の人間が協働している世界でも稀な国です。先ほど大平さんがおっしゃったように、とにかく同じ陽性者としての立場で手を繋いでいかないといけない。その時、異性愛者であるとか同性愛者だとか、男であるとか女であるとか、元男であるとか元女であるとか、そういった違いを認めつつ、やっぱりそれぞれが一人ひとりの存在を大事にしていく姿勢が求められるのだと思います。
もう一つ大事なことは、自分の感情を意識すること。自分の中にもいろいろなエイズに対する偏見や、他人に対する偏見があるっていうこととちゃんと向き合っていかないといけません。気をつけていないと知らないうちに、どっかで人の足を蹴飛ばしちゃうんですね。差別しようと思って差別する人はいないわけです。無自覚だから気づかないうちに誰かの足を踏んづけてしまう。踏んづけないためには、周りにどういう人が歩いているか、人の足にも大きい足があって、靴を履いた足があって、スリッパを履いた足がある。それを意識していけばそれを踏まないで歩いていけます。
それと、立場性を当事者性に優先させないこと、対等性を大事にすること。私たちは今ここにHIV陽性者として集まっている。名刺にどんだけ偉い肩書きがついていようと、貯金通帳の残高が私より5桁ぐらい多かろうと、年が私よりも半分以下の親子ぐらいの年の差であろうと、僕たちは1人の陽性者として同じ立場で集まっているはずです。この対等性というのを大事にしていかないと、仲間として話をしてるのではなくて、上からものを言うようなことにもなってしまい、パワーのアンバランスが生まれてしまいます。
そして自分の価値観や物差しで他人を計らないこと。感情の転移や依存に気を付けること。陽性者のグループの中で、他人の問題を自分の問題として背負い込んでしまうことがよくあります。そうすると問題がなかった人が問題を抱えるようになってしまうんですね。支援者と被支援者がお互いにそれをやってしまうと、共依存という状態になって、2人でズブズブ泥沼の中に入っていくっていくような状況が生まれます。
自分たちが自立をするということはどういうことか。私はこの15年ぐらいの間にたくさんの例を見てきました。やはり感情だけではなく、客観的な視点を持つことが大事です。支援が必要だとしても、何が必要なのかを見定めて、必要なものだけもらうという、そういうスタンスを持つことが大事だと思います。
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